箱根史と恋愛と再生術

週刊文春で推薦されていて「こういう小説、古そうだし、買っても、読むかなー?」と思ったが、購入して読んでみた。

箱根山 (ちくま文庫)

箱根山 (ちくま文庫)

お話は、様々な利権抗争のあった、行楽の山・箱根を舞台に、ある地域のライバル旅館A対Bの因縁があり、そこに旅館Aの跡継ぎ候補の好青年17歳と、旅館Bの跡継ぎっぽい女子高生16歳のとってもいい感じの恋愛が絡む・・、というもの。

いや、普通に楽しく読んだ。

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これまでも、箱根や伊豆に行った時に「あれ、西武バスが走っている。ふーん、西武って、埼玉の方だけじゃないんだ?」みたいに、「うん?」と瞬間的に思ったことはあった。

ただ、西武・東急・小田急・箱根鉄道の抗争、いま「なんとかライン」となっている自動車専用道路の開発や十国峠の因縁、富士屋ホテル周辺の感じ、箱根の各地域の対立などなど、この「箱根山」を読めば、なるほどそうだったのか!とわかることが、自分の中ではあまりはっきり意識されていなかった。

・・まあ、箱根に来ても、ブラブラと、ボケーッとしているだけなので。

なので、この本は「知られざる箱根プチ抗争史」として楽しむこともできた。

また、「プラトニックだけど、たがいに、憎からず、相手を思う・・」って感じの、ふたりの距離感の書き方も、なんだか、すごくいいなーと感じた。・・自分も17歳くらいの時、こんなことできたら、どんなによかっただろうな。

自分の不勉強で、作者の獅子文六さんの名前自体、この小説の紹介を読むまで知らなかった。NHKの朝ドラの1回目を書いている方なんだな。なんだか、いかにも、と思った。

また、この文庫本の売り方というか、「再生のさせ方」もうまいな、と思った。

とてもかわいい表紙の絵。(ボブa.k.aえんちゃん)

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最初にある人物相関図の絵。(ボブa.k.aえんちゃん)

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帯に書かれた「冒頭の会議は退屈だけど80ページまで読んでみて!」の言葉。

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これだけ、ユーザー目線で、サービス精神を持って工夫して、うまく「再生」してもらえると、自分のような「古い小説はちょっとなー」とか言っている人にも届く可能性が出る。

また、いま自分は「獅子文六さんの他の本も見てみようかな」と思っているくらいで、こういう読書範囲の拡大にも、一助になってくれそう。

「箱根史」と、

「恋愛」と、

読ませるための「再生術」。

なかなか、いろいろ考えさせてくれる小説だった。

他者を通じて自分を知ろう

何かの本の関連書として推薦されていて、興味を持って購入した。

これは面白い。

著者の文化人類学者、医療人類学者、磯野真穂さんは文化人類学者の営み」を下記のようにとらえているという。

相手の肩越しから、相手の世界を見てみること。

私はあなたになることはできないし、あなたは私になることはできない。

しかしあなたの世界を、あなたの肩越しから見ようとすることは可能である。

あなたが私の世界を、私の肩越しから見ようとすることは可能であるはずだ。

また、こうも書いている。

文化人類学「立ち止まることを奨励する学問」である。

そこにある「当たり前」が、なぜ「当たり前」として成立しうるのか。

あちらの世界では正しいことが、なぜこちらの世界では間違ったことになるのか。

本当は「危うい真実」が、なぜ「確かな真実」に見えるのか。

ということで、磯野さんは、医療現場で働く人に・・

  • 「肩越しから見る」かのように、話を聞く。

  • 立ち止まってもらって、話を聞く。

そして、医療者にも、医療を受ける人にも、「ふだん、あまり意識されない、気づき、余白、素朴な疑問、ふと感じる部分」が、提示されている。

それは下記のようなこと。

  • なんで末期癌で余命わずかの男性患者に、本人が食べたいというナタデココを食べさせちゃいけないのだっけ?

  • なんで看護師の日勤シフト維持のためにこんなに忙しく介護して、患者が欲しがるスカートのゴムさえ買うのはダメ、なんてことになるのだろう?

  • なんで高齢者を身体抑制しているんだっけ?

  • なんで胃ろうを取り付けているんだっけ?

  • 手術室の呪術性

  • 新薬の多面性

  • 漢方との兼ね合い

  • 標準化、エビデンス医療から、こぼれ落ちる部分

  • 「いつもこうしてきたんです」を守り続けることの、「難しさ」と「尊さ」

  • 言語聴覚士が感じる「自分が役に立っている」という「幻想」

よく「たまには、立ち止まって、ゆっくり、改めて、考えよう」とか言われるけど、こういうことって、口で言うほど、簡単じゃない。

ましてや、こういう声を集めていくって、手間も、時間も、熱意も、かかる。

だから、こういう声って、聞くようであまり聞かないし、こういう「違和感まとめ」みたいな医療関係の本って、そうはないのではないか。

もちろん、ふだんから「違和感全開!」なんて医療者は、それでなくてもムチャクチャ忙しい医療現場では存在し得ないし。

磯野さんも、こう書く。

医療者は日々進まねばならない。

医療者が(文化人類学者の)私たちのように立ち止まり、図書館に行ってしまったり、煮つまってコーヒーを飲みに出かけてしまったりしたら、臨床は一切進まなくなり、下手をすれば(いや間違いなき)死人が出る。

ガイドラインプロトコル、評価指標といった標準化のためのツール、さらに医師をトップに頂く明確な指揮系統は、不確かな現場を「確か」に見せることで、医療者が立ち止まらずにすむようにするための仕掛けと見ることも可能であろう。

助けを求めにくる人の前で、医療者はとにもかくにも進まなくてはならない。

磯野さんは、文化人類学のことを「他者の生を通じて自分を知る学問」とも、定義している。

確かにこの本は、医療者の話や、違和感を読みながら「自分はどうなると心地いいのか」「どうなると不快なのか」「どうしたいのか」「自分自身はどういう存在なのか」を考えるきっかけにもなった。

磯野さんの言う通り、「他者の生」を通じて、自分を少し知ることができる本だった。

ちょっとだけ 後味悪い

東野圭吾さんの探偵ガリレオシリーズの文庫で唯一読んでいなかった本。

全部読もうと思って購入した。

禁断の魔術 (文春文庫)

禁断の魔術 (文春文庫)

いままで探偵ガリレオシリーズは、すべてが、すばらしい!」と思ってきたけれど・・。

今回だけは、ちょっとだけ、後味が悪いガリレオだったかも!

話は、こんな感じ。

  • 湯川さんが、母校の高校の物理研究会の後輩から、研究会存続のために力を貸してといわれ、新入生歓迎会のデモ用「レールガン」開発を手助けする。

  • その高校生が大学生になると、姉が、愛人の国会議員との密会中に子宮外妊娠で突然死する。

  • 大学生は見殺しにした国会議員に復讐するため、退学して、町工場に就職して「レールガン」を改良して銃代わりになる武器を作る。

  • 湯川さんが、国会議員暗殺の実行寸前のところで、やめさせる。

いや、別に、十分面白いといえば、面白いのだけど・・。

ふだんの探偵ガリレオがすごすぎる分、ね。

なんとなく、うーん、ちょっとだけ後味が悪いなーと思ったのは、下記の点。

  • 湯川さんの後輩男は、描かれている人物像から察するに、もっと賢明なのではないか?「もうレールガン殺人しかない!」と決めるのが、即断すぎる気がして。国会議員は「殺した」のではなく、単に「助けずに逃げ出した」だけ。姉が愛人だったことも確か。そこは男と女のいろんなことが当然ありそう。となると、いくら18歳とはいえ、ここまで極端に走るかな、と少し感じた。

  • 姉の人間像もイマイチ安定していない気がした。議員番の女性記者が、相手の議員に「抱かれてもいいかな、とは思っていました」と言う、みたいな話。そりゃ人間は多面的だし、男と女だし、股がユルい感じの人っているし、そういうこともあるかもしれないけど、ならば、勘のいい弟だから気づくのではないか。「若干短めのスカートで隙を感じさせ、超高級ホテルのスイートで密会を重ねる下半身のだらしなさを持ち、それ以外は超ノーマルな、弟の信頼を勝ち取る、遊びに来た湯川さんをも、うまく盛り上げる、賢そうな人格者」という人、というすごく珍しい人物設定にわざわざしなくてもいいんじゃないの?と思ってしまった。

  • この姉と弟の「親父」の話も、少し違和感があったかな。「科学者の責任論」との関連で、最後のところで一気に出るのだけれど、全体のテーマと関わる話だから、もう少し前か、小出しにしてもいいのかなと感じた。また内容も、弟が全然知らなくて、すごく驚く感じって、ちょっと変かも、と思った。

  • 弟の恋人の女子高校生の話。この小説のサブキャラとして、いちばん魅力的なのだけれど、なんだか出てくる感じがあまり整理されてなくて、最後もフェードアウトしたまま、って感じがもったいないかなーと、ちょっと後味悪かった。

  • 国会議員、秘書、建築コンサルタントの男、反対派で分断される男、フリーライター男などの人物設定が、ちょっと、いかにも!すぎるかも。「おたがい、ワルですな。ハッハッハッ!」みたいな国会議員、まあいまもいるだろうけど、そりゃ、石破茂さん言うところの「どの県連にもバカはいる」という話で、多数派ではない気もして。建築コンサルも、まあいるかもしれないけど、ここまで露骨にやるもんなのかな。フリーライター像も、東野圭吾さんのガリレオシリーズで何回か出てくるけど、このパターンで仕事しているライターさんって、多数派ではないんじゃないの?と思ってしまった。

いや、ここまで、いろいろ言っても、面白かったのは面白かったから、まあ全然いいんだけど。

要は、期待が超、超、超デカすぎるから、ちょっとした後味の悪さ、違和感的なものが、引っかかっちゃうだけかも!

考えず「さようなら」タイプ

前野隆司さんの本で対談相手だった、東大病院循環器内科・稲葉俊郎さんが、竹内整一さんの話をしていて、興味を持って購入した。

日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書)

日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書)

本を読んでいくと、日本人が「さようなら」と言って別れる理由がわかる・・、という本ではない。

「さようなら」が、どう生まれ、どういう感じに使われてきたのか。思想史的な位置づけ、という感じ。

自分はこういう思想史的な感じの話になると、どうも理解する能力が足りないかな。

淀川長治さんが「サイナラ、サイナラ、サイナラ」と言う時は、ここまで考えていなかったのでは?とか、ちょっと違う感じのことを考えてしまったり。

言葉は変わっていくというし、単なる慣用句として深く考えずに使っているだけのような気もして。

でも、改めて考えてみると、「そうであるなら・・」とか「そうしなければならないなら・・」と言って別れる慣習って面白いな、くらいはあるけれど。

自分の側が、この本の「別れの精神史・思想史」に、きっちりついていくほどの力がないことが、よくないな。

意外と こんなもんか

ずっと前に買って、ずっとそのままだった本。

今回、読んだ。

スキップ (新潮文庫)

スキップ (新潮文庫)

17歳から42歳にスキップした女性が、スキップした先で高校の国語教師として頑張って生きていく話。

話だけ聞けば「高校生の知識、経験、感覚なのに、そんなこと、可能なの?」と、なるが、夫も高校教師で、娘も同じ学校に通っているので、まあ、いろいろ協力してもらって、なんとかなったりする。

読んでいて、自分は「まさかー?」とは、ならなかった。むしろ「意外と、こんなもんかも?」と思ったくらい。

いや、この小説にリアリティうんぬんを言うのは、変かもしれないが。

途中からは、少し、先が見える、というか、このままいくんだろうな、と見えてしまったかな。

「環境」や「立場」が人を育てる、というし、いまの自分の仕事も、意外と、17歳の時の自分でも、必要最低限の知識があれば、やれるかも。

いや、そんなこと、ない、でしょ。

・・うーん、てことも、ないか。

やっぱり、意外と、こんなもんかも?

そんなことを、ついつい、考え続けてしまう小説。

「報道の断片」だけの毎日

書店の店頭で迷う。伊坂幸太郎さんって、ずっと気になって、でも一度も読まずに来てるし、これは、読んでみるか・・。

でも、長そうだし・・。

まあ、でも、一度は読んでみよう!と購入。

ゴールデンスランバー (新潮文庫)

ゴールデンスランバー (新潮文庫)

まずは「面白かった」

簡単に言うと、仙台で、総理大臣がパレード中に爆発で暗殺されて、冤罪で犯人にされた男が、逃げまくって、最後は整形手術までして逃げ切っちゃう話。・・まあ、伊坂幸太郎さんが高く評価されるのもわかるよなーと思った。文庫本940円(税別)、本文678ページの大長編。うん、十分に、お金と時間のモト取れる。紹介文の通りの「スリル炸裂超弩級エンタテインメント巨編」だと思う。

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「気持ちのいい」作り話

エラそうに言うと、小説は、どうせ作り話なのだから、読むことで、気持ちよくなりたいんだけど、伊坂さんは、ホントに気持ちよくさせてくれる。たとえば下記。

  • 「設定はムチャクチャだけど、なぜかすごくリアリティのある、サブキャラのみなさん」がいい。三浦キルオ、岩崎ロック、追われている時なぜか「頑張れ」と協力してくれる若者、ロッキー社長、整形アイドル。こういう意外かつ魅力キャラに随所で引っ張られて、うわー、面白いなー、すごいなーと思いながら読み進むことができる。

  • 「ヒロインとの交流」。「だと思った。」のところ。最後の「たいへんよくできました」など、ここで来たかー!的な衝撃がすばらしい。

  • 「小説全体の構成」がすばらしい。99ページまでの「第一部 事件のはじまり」「第二部 事件の視聴者」「第三部 事件から20年後」があって、そこから、550ページに及ぶ「第四部 事件」、というふうになっている。第一部にアップ、第二部でロング、さらに第三部で大ロングがあることで、「広い構図」と、「立体的な世界観」を感じ取ってから、第四部の本編の世界にドドーッと入ることができる。これはとても効いていると思った。

  • 本編に入ってからの、「過去」と「現在進行形」の同時語りが、うまい。個人的には、よくある「大学時代、バカで、どうしたこうした的な話」って、好きではないが、今回はとても面白く読んだ。

「報道の断片」だけで毎日を過ごしている

楽しんで読みつつ、ひとつ感じたことがある。 それは、結局、自分たちは報道で知る「断片」だけで、毎日を済ませてしまっているなーということ。 いや、事件やニュースの当事者ではないのだから、それで当然なのだけれど。 でも、「よく考えれば、この事件、おかしくない?」とか「変なニュースだなー」みたいな感覚に、ほとんど真面目に向き合うことなく、日々が過ぎていることも確か。

登場人物の発言で、こんな言葉がある。

大した根拠もないのに、人はイメージを持つ。

イメージで世の中は動く。

味の変わらないレストランが急に繁盛するのは、イメージが良くなったからだ。

もてはやされた俳優に仕事がなくなるのは、イメージが悪くなったからだ。

首相を暗殺した男が、さほど憎まれないのは、共感できるイメージがあるからだ。

確かに、「報道の断片」だけで、なんとなくイメージを持って、深く考えず、それで終わり。

・・というか、もう、そのイメージすら、すごい勢いで忘れてしまったり。

また、こんな心象コメントも。

多数の意見や世論、視聴者の興味や好みに沿わない情報は流さない、流せないのがマスコミの性質なのだろう。

だから、マスコミはいけない、というつもりはなかった。

ただ、マスコミとは、報道とは、そういうものなのだ。

嘘はつかないが、流す情報の取捨選択はやる。

そう、人々の「興味・関心」や「好み」に合わない情報は流れない、という現実もある。

しかも、超大事件、超大ニュースでもないかぎり、賞味期限は数日間。なんというか、ほとんどの人は・・

  • フワーッと「報道の断片」だけを消費して

  • なんとなくイメージを持って

  • そこからはみ出た情報や、イメージに合わない情報を知ることもなく

  • やがてすぐ忘れて

・・それで、毎日を過ごしてしまう。

いや、別に、それで当然なのだけれど、改めて、そうであることが、よーくわかる、よく考えさせてくれる小説だった。

陰謀史観に一定の「説得力」

そうした「確かに、日々の事件やニュースを、深く、きっちりとは、考えていないよなー」という負い目がある分、 ケネディ大統領の暗殺、オズワルドさんが、なんとなく犯人、・・みたいな結論で終わりにしてない?」という、ある種の陰謀史観に、一定の説得力も感じてしまう。

ただ、話で出てくる具体的な場面では、「別人に整形手術までして、わざわざ映像を作るかな?」とか、「情報操作って、そうはうまくできないのでは?」とか、「こういうふうに人を一本釣りして工作員にはしないのでは?」とか、やや疑問を持ってしまった。

つまり物語の「全体の枠組み」には、なんとなく説得力があっても、個別の話には、ややリアリティがないように感じてしまう、というか。

いや、それで破綻するほどの違和感ではないが、「そうだよなー、政府機関や警察の陰謀で、これくらいやってるよなー」とは、あまり感じられなかった。

「いまなら違う」とも

この小説は「この作品は書き下ろしとして平成19年11月新潮社より刊行された」とある。もう10年前だ。 その分、「いまなら、ちょっと違うかも・・」と感じた点もあった。

  • いまならネットでもっと「青柳犯人説」の検証が行われ、説得力が弱いことが強調され、青柳が有利になるのではないか。10年前よりは、冷静な議論ができる場、一定レベル以上の検証、そうした検証結果が直ちに共有されるSNSなどのインフラができていると思う。「副首相が言っているから、そうなんでしょ」、とか、単純に「ふーん、そうなのか」ではないパターンになる可能性が上がっているのではないか。

  • いまなら、個人情報収集、監視社会の話は、もう少し、緊張感のない話ではないかとも、思う。自分だけかもしれないが、この小説に出てくる「セキュリティポッド」という個人情報収集マシンの話は、他の部分に比べると、あまり面白く感じなかった。「国家による監視社会」みたいな恐怖感って、10年前よりだいぶ下がっている気がする。というか、「買い物情報のデータとか、検索ワードとか、見たサイトの情報とか、そりゃ、普通、集められてるでしょ」とか「でも、個人情報を取られてることが悪いことばかりではないでしょ」という感じにちょっとなっているのではないか。

・・というように、10年前との変化も少し感じた。

面白さ・・

深さ・・

自分の日常の感覚への違和感・・

とても楽しく読める、エンタテインメントだった。

「無難」こそ危険だ

サッカー日本代表の議論で、よく話題になるのが、いわゆる「海外組」の扱い。

  • Jリーグではなく、ヨーロッパなどの海外クラブでプレーして、日常的に世界の一流選手にもまれる中でやっていれば、プレーの質が上がり、国際試合でもビビらなくなる。日本選手よ、海外へ出よ!

  • 海外クラブに出たはいいが、出場機会を失ったり、思ったほど成長できないこともある。一方でJリーグでやっていても成長を続ける選手もいる。「とにかく海外へ行け」論はちょっと偏った主張ではないか。

どちらも正しい面あるし、「海外組」がどんどん出てきたからこそ、2つめの意見も出てきているので、まあいろいろ考え方はあるよね、という話。

で、2017年12月の東アジアE-1選手権のオール国内組の代表。

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ダメダメだった、・・みたいに言う人もいたが、そうでもないんじゃないの。「海外組」主体のチームなら全部圧勝できた、なんてことないと思う。

実際、ここ数年の日本代表の試合を見ていて、この「海外組」選手は、はっきり段違いだなーと思えたのは・・

  • 2、3年前の本田圭祐選手(ムチャクチャ頼りになる感じがした)

  • 長友佑都選手(いまも、どんな局面でも切り開いてくれる感じある)

  • 酒井宏樹選手(どんな超一流選手もバキバキとめてくれそう)

一方、この「海外組」選手って、そこまではすごいのか、よくわからないなーと思ったのは・・

・・というか、まあ、元々、ハイレベルの戦いだから、選手間にそんなに決定的な差なんてないのだろうけど。

ただ、ここ数年の代表選考は、一応「海外組」優位みたいな考え方も、かなりある感じがする。

これって、まあ当然でもあって。

代表として、いい結果を出せなかった時、もし「国内組」が多かったら、「海外でもまれてない選手が多いから、いざという時ダメなんだ」と批判されるから、「海外組」を多くしておいた方がリスクは確実に減らせる。

選ぶ側としては、同じくらいの選手なら、「海外組」にしておいた方が、圧倒的に無難だから、しょうがない。

つまり・・

  • だいたいの実力は70-80点(+海外経験)

  • だいたいの実力は70-80点(海外経験なし)

・・みたいな選考なわけだから、海外に行っていた方が、選出の可能性は高くなるに決まっている。普通に考えれば、「海外経験は、むしろない方がいい」なんて考え方は絶対ないわけだし。

そりゃ乾貴士選手だって、柴崎岳選手だって、杉本健勇選手だって、一応、海外に行っとけ、となるに決まっている。

「別に海外組だからって、そこまで特別扱いする必要ないでしょ!」とか考えて、国内組をバンバン選んで代表の主力にするって、すごいリスクの高いことだ。「無難」とは無縁の、勇気のありすぎる決断だ。

ただ、選ばれた国内組選手は「わざわざデカいリスク取ってまで、こんなにたくさん国内組を選んでくれた!」ってことで、ものすごく燃えるかもしれないけど・・。

サッカーって、よく言われる通り、「無難」という考え方からは、一定の距離を取った方が、むしろいい競技でもあると思う。いつも、ウラのウラを考えているくらいがちょうどいい感じ。

ただ、「無難」をまったく切り捨てる、などという発想は、それはそれで、団体競技で、たくさんの人の合意が必要な話では、現実的に難しい。

でも・・、「無難」はできるだけ、減らそう!

できるだけ・・、敵も、味方も、「えっ?」という選手を混ぜ込もう!

ワールドカップ、普通にやったって、勝てないんだから。