使う言葉に敏感に

リクルート出身のコンサルのかたの、会社内での困った病に関するエッセイ。 なんとなく、こだわっているところが似ている気がして、楽しく読んだ。

「使う言葉」に敏感に

よく居酒屋やレストランで案内されるときに使われる「ご新規3名様ご案内です」への違和感が指摘される。これは、すでに誰かが来ていて遅れて合流する「お連れ様」と「ご新規様」を分けるために使われているらしい。

秋山さんは「それは店都合の分類である」という。

ラベルづけを甘く見てはいけない。

言葉は世界をどのように切り取るかの概念分類である。このお店では、最も大事なお客様を「今日最初に来た人か、遅れて参加する人か、を中心に見ています」という宣言をしている。接客担当の興味関心は当然そこに集中する。そして、使う言葉は思考を制限するのだ。

それが理由か、(接客担当は)お客様の顔を覚えようなどという意志はまるで持っていないので、顔もろくに見ないし、もちろん覚えない。だから、ご新規様と呼ばれるだけでなく、いつも本当に「新規客扱い」される。

同様の話はどんな組織にもある。

バイトの高橋くんのことを「バイトさん」と呼ぶか、「高橋くん」と呼ぶかで大きく異なる。「バイトさん」と呼んでいるうちは、自分は「バイトの人」とは人間関係を構築する意思がなく、「コピーをとってくれる便利な人」と思っていると宣言しているようなもの。

個を認識して「高橋くん」と呼び始めた途端、人間関係が生まれる。(大学、専攻、彼女の有無)がわかると、高橋くんに頼める仕事も増えるし、結果的には高橋くんも「バイトながら頼られている自分」を認識して、仕事にやりがいを見出してくれたりするのではないだろうか。

顧客を「お客様」と呼ぶか、「客」と呼ぶかも大事なポイントだ。社内で「客の・・・」と話していても注意されない会社なら、企業理念に「お客様第一主義」なんて掲げていても、本音では顧客を「お金を落としていってくれるありがたい存在」くらいにしか思っていないのではないか。

使う単語には、本音が表れるのだ。

社外の人と触れ合おう

社内で使われている言葉の不自然さには、社内の習慣にどっぷり浸かった状態では気づくことができない。言葉は共通語になり、習慣になり、自分の心と体に染みついてしまっているから。

人は社外の人と話してはじめて「あれ、違うな」という違和感に気づける。自社の言葉遣いの問題点(すなわち認識の問題)を洗い出したいなら、もっと多くの社外の人と触れ合うことだ。

池上彰さんは「自分をわかっている」

池上さんは学者ではないし、すべてのことに精通しているわけでもない。自分自身そのことをよく理解しているから、知的に謙虚だ。本分は解説であると認識しているので、専門家の意見はきちんと尊重する。

実際、自分が苦手な分野の話を聞いているときは「池上さんの話は素晴らしくわかりやすいな」と感心するが、自分の得意分野の話を聞くと「それはちょっと違うんじゃないの?」と感じたりすることもあるはず。

一般向けの解説なのだから、わかりやすさを優先して、多少説明を簡略化することがあったりしても当然だろうし、彼自身も100%わかっていないこともあると思う。ただ、あれほどもてはやされても自分の領分を守り、専門家ぶらない姿勢を持ち続けていることは本当に素晴らしいと思う。彼は正しく自己定義できている人なのだ。

使う言葉にもっと気をつけようという秋山さんの指摘。まわりの人に言っても「そうだ、そうだ」という人は意外に少ないとのこと。「そんな言葉遣いを気にする人は秋山さんくらいですよ」と相手にされないこともあるという。

自分の経験としても思いあたる。 人間って「何かを今と変えること」は、たとえどんな小さいことでも、無意識に、直観的に、反対してしまいがち。「えっ、なんで、その程度の言葉の使い方を変えるの?キョトーン」のほうが普通の反応。「そこに本音が表れている」と言っても、なかなか難しかったりする。

ここは伝え方もとても大切なところだなと感じた。