「感覚」の心強さ

認知心理学山口真美さんが、感覚に関わる科学的な知識を紹介する本。

センスのいい脳 (新潮新書)

センスのいい脳 (新潮新書)

「盲点」という見えない穴

よく聞くようで、改めて「そうなのかー」と感じた、盲点の話。

網膜は眼球の一部であるにも関わらず脳の延長ともいわれる。視覚の最も大切な器官。

ところが網膜には欠落した部分がある。視神経が一点に集中する視神経の通り道では、網膜は存在しない。「盲点」という名のとおり、見えない穴がある。

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ふだんの生活では盲点は巧妙に隠されている。片目でしっかり集中して見ない限り、盲点に気づくことはない。目を動かしたり、両目で見るだけで、その存在はかき消されてしまう。

そんな器用なからくりをやってのけるのが、私たちの脳である。知らないうちに、目の前の本当の景色を、整合性のある景色に描き替えてくれる。そんな実にセンスのいい脳を皆が持っている。

「頭足画」

「見て、描く」のではなく、「認識を絵に落とし込んでいる」のが、子どもによる絵の描き方。

一般に、子どもの絵はまるでピカソの抽象画のようである。三歳くらいの子どもによる人物像は、人体構造をまったく無視したもので、頭から手足が出て胴体がなかったりする。これには「頭足画」という立派な学術用語がある。

写実的に絵を描く前に、頭に浮かんだイメージだけで描く、イマジネーションの爆発期があるのである。

見たい部分だけズームしている

言われてみると、確かに、「部分ズーム」やっている。

大きな建物の前で記念撮影をするようなとき、ファインダー越しには人物も建物もちゃんと画面に収めたつもりが、いざ写真を見ると人物がとても小さく写っていたということがある。

原因は私たちのほうにある。私たちは、頭の中でズーム機能を使い、大きさを変換して見ているのである。

カメラのズームのように、視野に入るものすべてを同じ倍率で拡大するのではない。見たい部分だけにズームをかけてしまう。

意外と簡単に融通しあえる

私たちの脳は意外と簡単に、視覚と触覚に関する能力を融通しあえるようだ。

アイマスクをつけると、ほとんどの人は目の前に広がる暗闇に恐怖感を覚える。足を踏み出すことさえ躊躇される。

ところがひとたび勇気を出して足を踏み出すと、いつもは気づくことのない、空気の流れや音の変化が感じられる。

広い空間では、音も広がる。行き止まりでは、音が反響する。空気の流れによってどちらに空間が広がっているかもわかる。閉じられた空間では空気の停滞が感じられる。

目の見えない人たちの、豊かな世界が実感できるのだ。

「感覚」の心強さ

一説には、言語に関する脳の領域が、感覚ベースでものを見る脳の領域の働きを抑制しているという。

言葉を持たないアルツハイマーの老人や高機能自閉症の子どもたちは「りんご」という言葉の束縛を受けない。目の前のりんごそのものをしっかりと観察することができる。

失うものがあれば新たに獲得するものもあるのが、感覚の心強いところだ。

前向きというか、ポジティブにつながる記述が、読んでいて嬉しくなった。