「使命感」はやっかいだ

買ったままだった本。

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

1985年の日航機事故の墜落地の地元新聞社を舞台にした話。

30年以上前のことだけど、自分も一晩中起きてテレビを見ていた。朝方、ヘリコプターが何機も北へ飛んでいく姿も見ている。

事実のまま、ということではないだろうけれど、これに近い感じだったのだろうなーと思いながら楽しく読んだ。

その経験を、こういう文体、というか硬質な感じで、しかも「ブンヤ魂」みたいなテーマを、基本的には肯定的に描く感じ。エンタメとしては楽しいけど、何か、うーん、という感じも持った。

  • 主人公が「交通事故被害者の顔写真を取って来い!」と後輩記者に怒って、その記者が納得できぬまま取りに行く途中で交通事故死してしまったことに罪悪感的なものを感じている件。これは、まったく「事故」ととらえないといけない話なのになあと、小説ながら心配してしまった。別に「自分が死んでまで顔写真が絶対必要」なんて言う人は誰もいない。「死」などとはまったく無縁な、まったく平和な、ごく日常の業務として命令したら、思いもよらぬ悲しい出来事が起きてしまったということ。事故死や過労死の現場では、起きたことがあまりにもつらいので、こうした罪悪感的な話になりがちだけど。

  • 一見、セクショナリズムに見えるやり取りは、もう少し、単純な話ではないかと感じた。記者・編集セクションは「大勢で、何かはっきりしたものを作る」という、とても楽しそうに見える場所なので、OBや他の部署から、うらやましく見えがち。これは、組織間の争いよりも、「楽しそうで、うらやましいなー」と言っている面が強いように感じた。

(記者や編集チームの紙面づくりを、販売局の人が疑問視するところ)

「大勢が眉間に皺を寄せて深刻ぶってやっているが、所詮はニュースをこねくり回して楽しんでいるだけのことだ」

(航空事故報道を書籍化したいという要請に対して、出版局の人の言葉)

「馬鹿馬鹿しい。赤(字)を承知で、編集の自慢話を満載した本なんぞ作れるか」

  • 航空機事故報道にあたったこのひとときは、ハレの時期、というか、ごくごく特別な、わずかな時間だったのだろうなと、改めて感じた。どローカルな、平和すぎる、ヒマネタだらけの毎日が、圧倒的な日々。そこの日々の中での工夫とか、新たな試みこそ、この場所では一番大事なのになと感じたりした。

(事故報道が一段落しかけたとき、出された指示)

「一面には必ずこの四本も載せろ。《富士見村長選挙 明日告示》《赤城村議選 明日告示》《草津音楽アカデミー開幕》《群馬少年野球大会決勝》富士見村長選は候補者二人のツラ写真を付けろ。草津のアカデミーはオープニングコンサートの写真。野球は無論、胴上げ写真だ。わかったな?」

  • 実際は、というか、もしこの話がリアルなら、この小説上は悪役キャラになっている社長や局長が、いい人だったりするだろうなーと感じた。エンタメとしては、このほうが面白いけど。

  • 航空事故現場のバタバタの中で、「緊急報道ハイ」になっている姿が、なんとなく意義深いものになっている感じは、本当はあまりよくないよなと感じた。こういう「疲れ」というか、「変な使命感」は、バランスの悪い、効率の悪い、生産性の低い結果につながりがち。でも「使命感」は、そうした現実を見えにくくしてしまう。やはり、「使命感」は、ちょっとやっかいなものだよな。

面白いけど、いろいろ、ふだんよく考えていることとも突き合わせてしまう。そういう意味でも、面白い小説。