多様性に寛大な男

元特捜検事だった田中森一(もりかず)さんの自伝。ウィキペディアによると、3年ほど前の2014年に、71歳で亡くなっいる。以前買ったままになっていた本。

反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)

反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)

こういうサービス精神が満載の自伝を、正直ベースっぽい書き方で書くような人なのだから、きっと愛されキャラの面もすごくあったのだろうと想像する。

人間の本質に思いめぐらせた検事時代

例えば若いころ、佐賀地検に赴任したとき、大歓待にすぐマヒしてしまった話。

それにしても、人間というのは不思議なものだ。むろん最初は地元の歓迎に感激していた。が、それが何度もあると、当たり前のようになってくる。単なる恒例の行事に思えてくる。

違法スレスレの手法で被疑者の供述をとった件について。

検察キャリアと呼ばれる人たちには、ここまでできなかったに違いない。こんなことまでせずとも、失敗さえしなければ、自然と出世できるからだ。

しかし、現場捜査でたたき上げ、独自の捜査手法を持っている検事がいなければ、手練手管を弄する犯人にはとても太刀打ちできない。それもまた、紛れもない検察捜査の事実。

記憶の曖昧さを突くこともあったという。

人間の記憶は曖昧なもの。取り調べを受けているうち、本当に自分がそう考えていたように思い込むケースも少なくない。それを利用することも多い。

毎日、毎日、繰り返し検事から、頭の中に刷り込まれる。すると、本当に自分自身に犯意があったかのように錯覚する。実際、多くの被疑者には、犯行の意図まではなくとも、心の奥底では往々にして相手を憎らしいという思いが潜んでいる。それが調書の中で全面的に引き出される。すると、「殺すつもりだった」となるのである。

狭い拘置所の取り調べ室で、被疑者に同じことを毎日教え込むと、相手は、教え込まれた事柄と、自分自身の本来の記憶が錯綜し始める。最後には、こちらが教えてやったことを、さも自分自身の体験や知識のように自慢げに話し出す。そういう被疑者を何人も見てきた。

特捜検事時代を振り返って、こんな言葉も。

大岡裁きのように清濁あわせ呑み、被疑者にとって最良の方法をとるために法律を使えばいいと思ってきた。そんな思いが少しは伝わっていたのか、過去の捜査対象者の中に喧嘩別れした被疑者は一人もいない。もっとも、それがよかったのか、悪かったのか、いまだに答えが出ていない。

「清濁あわせのみ」という言葉、久しぶりに聞いた。こういう現場裁量が拡大しがちな言葉はとても注意が必要だが、やってる本人は「それでは現場は回らない」の確信があるから、まあ・・難しいよな。

「おもしろさ」で動いた弁護士時代

特捜検事をやめて、裏社会の人とのつきあいを増やしていく田中さん。キーワードは「おもしろい」だ。

社会的に認知されている大企業より、多少世間の評判のよろしくないところのほうが、付き合っていておもしろい。そうやって顧問先を決めていった結果、しぜん社会の裏側を歩いている人たちからの依頼が増えていった。

ヤクザ、ならず者、と呼ばれている連中でも、そのトップになると、腕力だけでは通用しない。ヤクザの組長でも、カネや力だけでは人間の心をつかむことはできないし、組員をまとめることもできない。それが次第にわかり、却って彼らの人間的魅力に惹かれていった。

彼らは、自分自身の経験から人をコントロールする術を学んでいることが多い。それだけに話に新鮮味があり、また説得力もある。人に対する独特の細やかな気配りや配慮を見せる。

読んでいて、田中さんは、私のまったく知らないような、「ホントにそうだなー、考えさせられるなー」と思うような気遣いをたくさん受けたのだろうと想像した。

ただ、感覚のマヒもすごい感じになっている。

一万円が百円のような感覚しかなかった。一度、東京へ向かう新幹線の中で、一千万円の現金を入れたバッグを盗まれたことがある。さほど惜しくはなかった。

むしろ慌てたのは、バッグの中に入れていた弁護士バッジや裁判資料の紛失だった。バッジは再発行してもらえばいいし、裁判資料はつくりなおせばすむ。にもかかわらず、現金のことよりそちらの面倒のほうが気になった。

やがて田中さんは、元々同僚だった検事に恨まれたことも影響したか、服役することになる。しかし、それでも、こうした愛すべき自伝を執筆するなど、自分の世界を広げていくことをやめようとしない。

人間の多面性、社会の多様性、まだ見ていないものの大きさ。そういうことに、とても敏感な人だったのだと思う。