この結果 たまたまだよ
以前、買おうか迷って、結局買わなかったが、時間ができたので買った本。
- 作者: トビアス・J・モスコウィッツ,L・ジョン・ワーサイム,望月衛
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2012/06/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「行動経済学」の話は面白い。
ただ、「おー、そうなんだ!面白い!」となるというより、しぶしぶ「分析されると、まあ、そうなんだけど、うーん」となる感じ。なんというか、簡単には認めたくない気になる。
全体的にスポーツ観戦時の心の動きが見透かされる感じ。見ているものを過大評価せずに、自分の考え方のクセをよく意識して、スポーツを見ないといけないよな、という気にさせられた。
著者の主張は端的に示される。
「認識できること」や「明らかなこと」は信用されすぎている
インセンティブはスポーツでも強力な要因
人のバイアスや振る舞いも同様
運の果たす役割は過小評価されている
ゲーム終盤は、審判は結果を左右しかねない大きなジャッジをしたがらない傾向あり
- 人は「行動しないこと」を「行動すること」ほどには押しつけがましいとか、邪魔だとは思わないから。
➡「不作為バイアス」というものだそうだ
人は「自分が行動しなかった」せいで悪いことが起きた場合より、「自分が行動した」せいで悪いことが起きた場合のほうが罪深く感じるから。
「目立ったジャッジなどしないほうがトク」という当たり前すぎる判断。
総じて(本来の成功可能性が軽視され)保守的で無難な作戦が好まれる傾向あり
人は「負けたときの痛みは、勝ったときの喜びの2倍も大きい」から。
損失を回避したい、責任を逃れたい、という当たり前の判断。
リードされた状態から劇的に引き分けに持ち込むと「勝利を失わなかった喜び」で勝ったときより嬉しい傾向あり
- 人は何か(勝利)を手に入れるのが好きだが、それ以上に何か(勝利)を失うことが嫌いだから。
➡思い当たること、たくさんある。
試合数が増えれば実力差が如実に出る傾向あり
ホームゲームが強い傾向あり
- 審判が地元ファンに配慮してサービスするから。(サッカーのアディショナルタイムの長さ、野球の見逃しボールのジャッジで検証)
- 心理学の知見から言うと、 審判は自分に同調圧力が働いていることに気づかないこともある。
「勢い」や「流れ」などは過大評価されている
- 本当は確率的には当たり前の比率で起きているのに、連勝、最近の傾向、戦績は、大げさに評価されがち。
改めて振り返ると、特に気をつけないといけないなと思うのは、下記の2点。
人はものすごく保守的になりがち
「余計なこと、しないほうが・・」という心って、自分が考える以上に大きいと考えていたほうがよさそう。
大企業ならだいたい、管理職は、「チャンスを逃すこと」より、「実際にミスを犯すのを避けること」に必死になっている。
「行動しなかったこと」の責任を問われる人はめったにいない。それで起きるミスだって同じくらい痛手であるのに、だ。
アマゾンの創業者ジェフ・ベソスが2009年の経営カンファレンスで言った言葉を借りよう。
「みんな、行動することで起きる間違いばかり気にしすぎている。会社も、そういう間違いがもたらす被害を重視しすぎている」
「ほとんどの場合、企業がかぶる大きな損害は、むしろ行動しないことで起きる間違いで生じるのだが、こちらは見過ごされがちである」
改めて振り返れば、こうした見方は、なかなか職場で実践できない。
何か大きな新しいことを始めることの障壁は、まずは「なんで、このまま(あるいは微調整)ではダメなの?」から始まり、「今よりうまく行く、確証(的なもの)あるの?」になり、何か、モワーッと、面倒くさい感が職場を覆われる。
新たな試みに、はっきり否定的なことを言われるのは、意外に少ないと思う。ただ、前向きな声ももっと少ないから、そんな話、簡単に進むわけはない。
これは「不作為バイアス」という言葉でも説明できるのかもしれないが、「そもそも、起きなかったことは論じられにくい」という面もある。「起きなかったこと」を強く意識すること自体、難しいことだ。
また行動しなかったとしても、アマゾンのように、超・急成長もしないが、まあ会社がつぶれるほどの損害にもならない面もある。
起きなかったこと。起こせなかったこと。
こうした、現実以外の「あり得た可能性」を意識して、いろんなものを見るように心がけたい。
「この結果、たまたまだよ」
「目の前で見たことの衝撃」の重さを改めて意識したい。
「いま、自分の目の前で、AがBに勝った。つまりAはBより強い。自分が見たのだから間違いない」という考え方。鬼のように強い。死ぬほど当たり前にも思える。
でも、このとき、「あんなに接戦だったんだもん、たまたまだよ」という、よく考えてみれば当たり前の考え方を、どこかで残しておかないといけない。
いや、口に出すと、「いま目の前で見てなかったの?」と怒られそうだから、口にわざわざ出す必要はないけれど。
多くのファンは、やはり、結果に一喜一憂するのが楽しいのだろうから、結果を存分に楽しむのは当然だ。
でも、「本当のところ」は、どうなのか、という点。「たまたまだよ」とも考える度量を忘れないようにしないと、「本当のところ」への道自体がなくなってしまいそう。
起きたこと。見たこと。はっきりしたこと。
それらは、もちろん大事だ。
でも、それらを信用しすぎないで!