世の中は「偶然だらけ」だ

池谷裕二さんの本、またまた。

すでに読んでいたこともあったが、全体として、いろいろ参考になった。

脳って、「安心」したいんだよなあ。

世の中とは「なにか原因があるからその結果が出て、因果応報で、ある意味で理にかなった、安定した状態」であってほしい、と考えるクセがある。

「何も理由なく、偶然で、ランダムに物事が起きる、不安定な状態」であってほしくないんだな。

「脳のクセ」として、改めて面白いと感じたものは下記のこと。

脳は「労働の価値」を大切にする

皿から餌を自由に取れる状況でも、労働をして餌を取るほうを選ぶ。ネコ以外の動物はみな同じらしい。

贅沢三昧、悠々自適が実際にその立場になると、思ったほど嬉しくないのは、脳はこのクセのせい。

脳は律儀なヤツだ。

脳は「自分の欠点」には気づけない

他人の顔は見えても、自分の顔は見えないように、他人の欠点には気づけても、自分の欠点には気づけない。だから「自分は公平で正しいのに、他人は視野が狭くて偏見に満ちている」と考えがち。

人は「自分に対して無自覚である」という事実に無自覚。最大の他人は自分。

確かに「自分に超・大甘」くらいの認識で、でもまだ足りないぐらいかも。

「右利きの脳」は視野の左側を重視する

一般に、右利きの人は、視野の左側を最重視する。

(相手から見て)左視野に特徴のある「右分けの髪型」のほうが、左分けより好印象に見える。

魚料理は頭を左に置いたほうが食欲をそそる。

本やポスターは左側にイラストを描いたほうが自然に頭に入る。

スーパーの目玉商品は左側の棚に並べたほうが売れる。

うーん、言われてみれば・・。

「言語化」が脳の記憶を歪めることも

「言語化」とは、言葉にできそうな容易な部分に焦点を絞り、その一部を切り取って強調する「歪曲化」。

言葉で説明することで記憶が歪められ、かえって想起しにくくなることもある。

事件を目撃した人が、犯人の特徴を警察に報告すると、あとで真犯人を見たときに正しく認識しにくくなることも知られている。

確かに、言語化の時点でモワッとしたすべての情報をごく一部だけ強調して、残りを切り捨てているわけだもんな。そこに自分の言葉を正当化したいクセも働けば・・。

脳は「不必要な情報」も集めようとする

決断したり行動したりするとき、判断材料や根拠は多ければ多いほどよいと感じる。

脳は、目の前の情報の優劣を判断することなく、等しく重要とみなす傾向がある。

これ以上情報を集めてももう決断に影響がない状況でも、なお情報を集めようと努力する。

ネットサーフィンとか、競馬予想の果てしなさとか、ホントだよな。

うーん、この読書メモもそうか?いや、これは必要か。

脳は「人の性格が原因」と説明したがる

脳は、他人の行動や言動を「その人の性格に由来する」と捉える傾向がある。

誰かが不可抗力で花瓶を落とした場合も「不注意な人だ」と感じがち。

自分が花瓶を割った場合は「私は不注意だ」と考えず、「机の端にあったから」と責任を転嫁する。

他人の発言や行動は当人の内的要因に帰属させる。一方で、自分については外的要因に帰属させる傾向がある。

これも、そうかも、と感じた。

脳は「なんらかの法則」を見出す

多くの人は(乱数表で作られたランダム列にも)「なんらかの法則」を見出してしまう。特に同じものが連続している箇所に目がいく傾向がある。

脳はなぜか秩序を好む。ストーリーも大好き。

(スポーツの試合を見ながら)即席で説明を試みる無責任さが脳の特徴。試合には「流れ」があって、「のっている時間帯」と「我慢の時間帯」があるような気がする。しかし実際に試合データを統計的に解析した結果、ランダムと区別がつかない。

脳は「安心」したいんだよな。「安定」が好きだな。

脳は「自己正当化」が大好き

脳は自己正当化が大好き。

「昔から自分はそうだった」と思いこむ傾向がある。

脳は、自分が非定常で、不安定な存在であることを嫌う。

自分は、以前から一貫していて変わらないと、過去を歪めて、自分像を想起する。

「自分は昔から同じ。結構、一貫している」。相当意識しないと、無意識にこう考えてしまいそう。

脳は「今後の変化」を少なく見積もる

脳は、過去の自分に起こった変化に比べ、将来の自分に起こる変化を少なく見積もる。(好み、趣味、習慣、性格などを)「今後は一貫している」と思い込む傾向がある。つまり「もう変化は終わった」と勘違いする。

たとえば多くの人は自分が3年後にがんになっている可能性をほとんど想像しない。(実際は60歳までにがんを患う確率は男性8%、女性11%)

安心したいからなあ、こわいもん!

脳は警告を楽観的に解釈する

よく災害心理で聞く話。「正常性バイアス」という。

起こりうる災害を過小評価しがち。将来に起こりうる悲運をその場ではなかなか判断できない。

特に経験したことのない危機や災害は「これまでに起きたことのない災害は今回も起きない」と判断し、準備や対応を怠る。

脳は自分の集団は個性的と考える

脳は、自分が所属しているグループを個性的でバラエティに富んでいると思い込む傾向がある。

相手のグループを均質化してしまうクセは、一方的な決めつけを生み出す下地になる。

安心したいんだよなー、これも。

脳は「前の経験」に引きずられる

脳は、否応なしに、前の経験に心象が引きずられる。

ときに何日も効果が残り、本人の知らないうちに判断や意思決定に影響を及ぼす。

無意識の偏見は、意識の偏見より質が悪い。

脳は「自説」を重視する

(脳は)「自分の仮説や信念」に一致する例を重要視する傾向がある。

都合のよいことしか見えず、自分の信念に一致したときに「ほら、まただ」と確信を深める。

一致しないときには「そういう例外もある」と無視する。

(インターネットでは)実際には自分の信念に沿う記事ばかり閲覧する傾向がある。

SNSでは似たもの同士がつながっているので、好みの記事が当人にもともと届きやすい。

最近は、閲覧履歴から当人の興味をひきそうなサイトが上位に自動表示されるため、自分への確証がさらに強まる素地が増えている。

ここも、よほど自覚的に考えないと自説強化に自然と走ってしまいそう。

脳は「因果応報」が大好き

「不条理」さや、「無根拠」さは、心理的には認めがたい。ヒトは物語を求める生き物だから。

脳は因果応報が大好き。勧善懲悪の幻想に取り憑かれている。

成功も、失敗も、自ら招いたものだと、当人の自己責任に帰着される。

一般に、因果応報への傾倒は、善行を促進する。

しかし、たまたま事件事故に巻き込まれた被害者のあら探しをして、「被害にあう理由があったはず」と不幸を合理化することもある。(「被害者非難」と呼ばれる現象)

性犯罪の被害者に対して、言ってしまいそうな感じは確かにある。脳のクセでもあるんだな。

長崎原爆の永井先生の考え方にも、少しそういう部分があると言っていた人がいたことを思い出した。

そう、「不条理」「理不尽」が、なんとなく「肌感覚」でイヤなんだよな。

脳は思ったより回復が早い

(脳は失敗しても)実際には想像していたほどにはクヨクヨしない。思ったより精神的な回復は早い。

(事前に想定することで)悪しき経験に耐性を作り、嫌悪感情の埋め合わせをする。(心理学的免疫システム)

何かの復讐に燃えていても、リベンジしたときの達成感はそれほどない。

ゲームで賞金を勝ち取ったとき、告白して恋が成就したときも、当初期待していたほどには感激しない。

免疫システムが働いているのか。

でも、思わぬ大感激もあると思うけど。それは事前の想定が少なかった場合か。

脳は「擬人化」が大好き

脳は擬人化が大好き。ヒト以外のものにヒトの心を見出すことで勝手に親近感を覚える。相手を理解したような気分になる。

「太陽が照らす」「荒波に飲まれる」「天罰」などの表現は擬人化の典型例。

擬人化は人工物、コンピュータにも向けられる。

脳はどこかで考え続けている

これは実用的な話として改めて意識しようと感じた話。

(脳は)目標に向かって課題をこなしている最中は緊張感があるため、心のどこかで課題を気にかけている。

目標が達成されると緊張感から解放されて、記憶が褪せてしまう。

切りのよいところで仕事を切り上げるな!

次の仕事に手をつけて帰宅したほうが、翌朝、仕事をスムーズに始められる。

締め切りが先だから、と書類を開封せずに放置するな!

いったん目を通してから放置するほうが、締め切り直前に、効率よく仕事が片づけられる。

新しい仕事の手順を人に説明するときは、事前に多くを説明するな!

記憶にとどまりにくい。仕事を多少こなしたあとで説明したほうが相手によく伝わる。

仕事を中途半端な状態で放置するのは勇気がいるが、実際には、無意識の脳回路が代理で作業する。仕事の効率が高まる。

この仕組みは使わない手はないな。

切りのいいところまで仕事するのはやめよう!

ブログは、全然中途半端でも、下書きを途中まで書いておくことにしよう!

脳が好きなもの。

秩序、ストーリー、なんらかの法則、自説強化、自己正当化、因果応報、擬人化。

なにも自覚的でなければ、確かに「偏見のかたまり」になってしまいそうだ。

でも、不条理、理不尽、無秩序、法則性なし、自説まったく通用せず、偶然だらけ、因果応報ゼロ、みたいな状況は、改めて考えても、恐ろしすぎる。

だが、スタンスとしては、そちら側で構えるべきなんだろうな。

どうしたって、脳のクセにしばられるわけだから。

ということで、世の中とは・・。

基本的には「不条理、理不尽、無秩序、法則性なし、自説まったく通用せず、偶然だらけ、因果応報ゼロ」と考えたほうがいい。