「非効率」は非効率なのか
北海道大学の進化生物学者・長谷川英祐さんの本。
以前、新書をチラッと見ていたが、今回、推薦する文章を読み、文庫版を購入した。
- 作者: 長谷川英祐
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2016/06/14
- メディア: 文庫
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アリは局所的反応で突発的な仕事を処理する
アリを観察すると、アリの種類を問わず、ある瞬間、巣の中の7割ほどの働きアリが「何もしていない」ことが実証されたとのこと。
また、著者の長谷川さんたちが、シワクシケアリで1か月以上観察しても、2割くらいは「働いている」とみなせる行動をほとんどしていないとのこと。
つまり5割くらいは、たまに働くアリ。
2割は、まったく働かないアリ。
どういうことかというと、まず、アリの世界にはリーダーが集団を指揮するような仕組みはない。
では、突発的にミミズやムシの死骸運搬などの仕事が必要になったときは、どうするのか。
長谷川さんによると、そういうときは、全体的な情報伝達や共有なしに、部分部分が局所的に反応して処理する形になっているとのこと。
つまり「ふだんは働かないアリ」はそうした突発の仕事の対応にあたっている。
読んでいて、働かないアリという存在が、長い目で見れば、それなりに意義があると感じられた。
「自分は、もしかしたら、いまの職場でイマイチ必要ない人材なんじゃないの?」と思ったことのある、私をはじめとした、多くのサラリーマンにとって嬉しい話だ。
自分も、突発的な緊急事態のときは少しは役立っているもんなー、と思ったりして。
でも、突発的事態がほとんどない職場もあるよなー、とも考えたり。
アリに敬老精神なし
アリの個体は、一生の中で仕事の内容が変わるとのこと。
とても若いうちは、幼虫や子どもの世話。
次は、巣の維持。
最後は、巣の外へエサを取りに行く仕事。
つまり、はじめはできるだけ安全な仕事をしてもらい、余命が少なくなったら危険な仕事に異動してもらっているそうだ。
このほうが労働力をムダなく使えて、集団全体の効率性が高まるとのこと。
そのため、人間から見れば「敬老精神がない」となるが、アリにとっては、むしろ合理的なので採用しているとのこと。
長谷川さんによれば、「人間社会では、老人の豊富な経験に基づく助言が部族全体の生存確率を上げた」から、「敬老精神を大事にするほうが意味がある。合理的だ」ということになった、と考えられているとのこと。
アリも、人間も、それぞれが合理的に動いているだけともいえる。
まー、人間なら、アリのように「危険な仕事は老人へ」なんてかわいそうすぎる。
ただ、自分としては、ここは逆に「中高年サラリーマンが、再び現場最前線に戻って、若きチームリーダーのもと、地味ながら手堅い仕事ができるなら、それはそれで合理的」ということを示しているようにも感じられた。
たまに、職場で、いい感じのOB職員が、一歩引いた形で、うまく現場のワンパートを回してたりするもんな。
このほうが理にかなっている場合も、もっとありそう。
そういうことを示唆しているようにも感じられた。
「うっかりもの」がいるほうが効率的
「うっかりもの」がいるアリのグループのほうが、一定時間の間に持ち帰ることができるエサの量が多くなる、というコンピュータシミュレーションによる分析も嬉しかった。
こうなる理由は、「うっかりして道を間違える個体が、偶然、効率的なルートを発見できる」ことがあるから、とのこと。
読んでいて、効率性ばかり追い求めると、逆に効率性が悪くなる危険性を秘めることを示しているようにも感じられて、考えさせられる。
ただ、これが、「組織には、無駄、余裕、遊びが必要」みたいに一般化されてしまうと、なんだか、それも違う気がするんだけど・・。
自分は「あの要員、あの仕事、あのサービス、あの慣習、あの前例引き継ぎ、本当に必要なの?」という効率化の仕事って、いちばん大事で、いちばん大変な仕事だと思う。
だけど、それだけじゃないことも、いつも忘れずに・・、ってとこが、わかるけれど、難しいんだよなー。
効率化自体が、とてもしんどい、手間のかかる、難しい仕事だから、それをしないための言い訳にしちゃったり・・。
「いろんなところが非効率でも、全然問題ない」というわけでは、もちろんないし・・。
「腰の軽さ」に個体差がある
よく働くアリと、よくは働かないアリを分けるのは「反応閾値(いきち)」というものだという。
人間でいえば、きれい好きな人は、「汚れ」に対する反応閾値が低い。
散らかっていても平気な人は、「汚れ」に対する反応閾値が高い。
つまり「個性」とも言い換えることもできるそうだ。
反応閾値に個体差がある、つまり「腰の軽さ」に幅があるので、必要な仕事に必要な数を臨機応変に動員することができるとのこと。
だから、かなり単純な判断しかできないハチやアリが、効率よく仕事を処理できるという。
またシワクシケアリの観察では、「働くアリだけを取り出しても、やはり一部は働かなくなる」という現象が実在したそうだ。
また、ムシのグループに「疲労する」という概念を組み入れたシミュレーションをすると・・、
短期的には、反応閾値が同じグループのほうが効率的だが、
長期的には、反応閾値に幅があって働かないものがいるシステムのほうが長く存続できる、
・・という結果が出ている。
うーん、また「一見、非効率の、意外な強さ」、か。
また、ある種のアリのコロニーには、働かないで自分の子を生み続けるフリーライダー(ただ乗り)が出るが、フリーライダーが増えすぎるとそのコロニーが滅んで通常型の新しいコロニーができるという。
なので、社会全体のフリーライダーの数は一定に保たれるとのこと。
「未来の適応度に応じた進化」はわかっていない
長谷川さんによると、進化論でいわれる「適者生存」という言葉がくせ者だという。
とてもシンプルな集団で、理想的な個体群でしか成立しない考え方と、長谷川さんは見ている。
でも現実に生物が生きる環境はもっと複雑で、動的で、様々な制約も多いという。
また次世代への適応度も、次世代、孫の世代と、何百世代もの未来では、変わってくる可能性があるという。
長谷川さんは、最後に「生物の世界はそもそも、嵐や、雪や、大風など、予測不可能な変動環境にあることが当たり前」とした上で・・、
数式で表されるものしか理解できない理論体系の最も苦手な分野が「生物学」かもしれない。
人生もそうかもしれない。
短期的な損得じゃない幸せがある、と思うからこそ、
面倒くさい人生を生きる価値がある。
・・と結んでいる。
そうなんだよなー。
「短期的な効率性」と「中長期的な効率性」の差を、どこまで意識するか?
一見、非効率に見えるものを、どこまでさまざまな角度から再評価するか?
まあ確かに、予測不可能な、大変な変動環境にいるわけだから、いろいろ考えていかないといけない。
とっても、深い話。
とっても、面白い本だった。