「無駄な仕事」廃止を阻む論理
「働き方改革」の道なかば。「壁」は険しい。
その「壁」の高さに毎日驚き、「壁」の複雑さ・多様さに驚き、日々学んでいる。
そんななか、この本を書店で見つけ、改革を阻む根本原因にたどり着くヒントになるかもしれないという思いで購入した。
- 作者: 太田肇
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2017/10/05
- メディア: 新書
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この本の中ほどに著者・太田肇さんが書かれていることがいちばん重い現実だ。
要するに日本企業では組織のトップから末端にいたるまで、組織を効率化するより会社共同体を維持することで利害が一致する。
少なくとも内部から強力に効率化が進められる構造にはなっていない。
ホントに、しみじみ、そうだよな・・。読みながら、働き方改革=効率化なんて、生半可な覚悟では進むわけないことが、改めてわかる。
太田さんは、この本の前半で、現状のムダを簡単に排除できない要因を提示する。そして後半に、対策のヒントとして、「効率化先進国・ドイツ」の事例や、「人材難という外圧で大企業より効率化が進む中小企業」の取り組み例を紹介している。
自分としては、後半の対策編よりも、前半の分析編の中のほうが「改革へ向かうための広い意味でのヒントになる言葉」がいくつもある気がした。
客の「神様」扱い
「顧客重視」という言葉はあまりにも強いので、「それは客の神様扱いではないか」という対抗軸をはっきり提示しないと、意外と押し切られてしまう。「顧客」窓口業務に使命感を持っている方は、「顧客の意見は宝の山」「この業務の縮小、効率化なんて、とんでもない」という意識になりやすい。
太田さんはこう書く。
客を「神様」と持ち上げ、その要求を無批判に受け入れていると、客の要求はとこまでもエスカレートする。
過剰なサービス、明らかなムダであっても、いったん客の要求を受け入れると、それが新たな基準となる。
(市役所などで)住民の理不尽な要求や長時間に渡るクレームに毅然とした態度を取らず、業務に支障を来しているケースは少なくない。
一部の人のために全体への奉仕が犠牲になっているケースが少なくない。
教育や保育の現場、病院などでも同様だ。
一部の顧客の過剰重視が、効率化を妨げ、引いては顧客全体の利益を奪っている。そうした構造を改めて考えさせてくれた。
背後に「処遇」の論理
深く考えればもちろん自明のことだが、「処遇の論理」が大きなムダの温床になっているという指摘も改めて大切だと感じた。
年功序列のもとで、年齢に見合った地位と給与を保障し、社員のモラルを維持しようとすれば、組織にとって必要かどうかとは関係なく、処遇のために役職を置かなければならない。
部長や課長以外に、副部長、部次長、担当課長、参与、参事、課長補佐、課長待遇といった役職がたくさん設けられた。
膨れあがった役職層は、組織の意思決定にも非公式な形で関わる。そのため意思決定が必要以上に遅くなる。
しかし役職・ポストが社員のプライドやモチベーションと関わっている以上、簡単に整理できない。
そう、自分もまさにこういう事態に日々直面している。ただ話がさらに難しいのは、「膨れあがった役職層」の皆さんの多くは、本心から、組織のためを思って言ってくれていること。「自分の存在をスルーしないで」「自分の存在感をもっと示したい」というだけの人って、そうはいないから、なおさら始末が悪い。
しかも、最終決定権者も『できるだけ「膨れあがった役職層」の意向も取り入れるべき』と考える心優しい人ばかりだったりする。これではもう・・。
ただ、問題の構造はいつも認識していないと、改革前進の機会をいつまでもつかめない。問題の根深さを十分考えながら、何か解決の糸口を探し続けることの大切さを改めて感じた。
「完璧」による思考停止
「完璧」「きちんと」「ちゃんと」のような言葉のポジティブ度の強さも、改めて意識した。
太田さんは言う。
「限定された範囲で完璧を目指すこと」は、無限の広がりを持つ外部の要因、不確実な将来を考慮しないことを意味する。
「完璧」を求めることで人間はしばしば思考停止に陥り、また真剣な努力を放棄してしまう。
確かに、こういう面はあると思う。
常に進化するいまの時代には、完璧に準備したつもりでも状況が変わると完璧ではなくなる。
前に進んではじめて、欠陥や不十分な点が見つかることもある。
あえて完璧を求めず、リスクを冒してこそ進歩する。
それを放棄して「完璧」に安住することは、ある意味で怠惰な姿勢。
本来なら、非現実的な基準は現実に合うように見直されるべき。
だが、完璧主義のイデオロギーが組織内に、社会的に浸透していると、見直しはなかなか許されない。
またこだわりの理由として。
日本企業ではトップから末端までが「攻め」より「守り」重視、すなわち自らの保身のためにリスクを最小化するよう動機づけられている。
それが、たとえ組織にとって不合理だと思っても、完璧主義にこだわる大きな理由。
そうなんだよなー。「守りが堅い」は、いまだに誉め言葉だもんなー。
ただ、結論は太田さんの指摘通りだと思う。
環境の変化が激しいこれからの時代には、感覚的にいえば「80点」くらいの大枠をつくり、細部は走り出してから徐々に詰めていく、あるいは修正していくほうが効果的。
そもそもリスクや可能性は走り出さないと見えてこない場合が多いから。
「脱完璧主義」は創造や革新に必要なだけでなく、状況変化への適応という面でも不可欠。
そう、「80点スタート」を当たり前にしていかないといけない。改めて、そう考えさせられた。
「改善型」の呪縛
太田さんの分析を読みながら、改めて、小さなムダの排除が評価されやすい現実、「革新」より「改善」が評価される現実を思った。
IT化やソフト化、グローバル化が急速に進んだとき、「改善型」のパラダイム(思考の枠組み)から「革新型」のパラダイムに転換すべきだった。
「適応が適応を妨げる」という言葉どおり、わが国は工業社会にあまりに適応しすぎたため、ポスト工業社会への適応が困難だった。
また下記の指摘もとても参考になった。
さらに問題を見えにくくしているのは、短期と長期のギャップ。
「工業社会型=改善型」のマネジメントは多くの場合、短期的には効果があがる。
たとえば作業ロスを減らせば1日の生産高は確実に増え、価格を引き下げれば当面の来客は増える。
それに対して、「ポスト工業社会型=革新型」のマネジメントは、効果があらわれるのに時間がかかる場合が多い。
技術革新が利益に反映されるのは少なくとも数カ月、数年先だろうし、しかも不確実である。
そのため工業社会型マネジメントの効果を過大評価してしまう。
このようなバイアスがかかっていることを認識するところから改革を始めるべき。
そう、「コツコツできる、日々の改善を、まずは、ちゃんとやろう」「一気に変えるよりも、まずは少しずつ」みたいな改善型の意見は、断然、合意を得やすい。
一方、「これは一気にやめて、こうつなげば、効率化が進む」「ここに対する考え方を基本的に変えて、これでいい、と割り切ってしまおう」みたいな革新型の意見は、確かに、なんだかフワフワしたものみたいにとらえられやすい。
太田さんの分析の通りだと感じた。
「ムダな仕事をやめる意思決定って、本当に難しいなー」と日々モヤーッと実感していることが、「それは、こういうふうに整理できる」と改めて整理してもらう感じ。
客の『神様』扱い
『処遇』の論理
『完璧』による思考停止
『改善型』の呪縛
こうした現状をはっきり意識して、何ができるのか、考えていこう。
そんな気持ちにさせてくれる本。