防衛論議 実は結構面白い
何かの文章で、著者の冨澤暉(とみざわ・ひかる)さんが推薦されていた。 今回、新書が出ていたので購入した。
- 作者: 冨澤暉
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/11/16
- メディア: 新書
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国連軍は警察官業務?
冨澤さんは多国籍軍や国連軍に参加しての戦闘は、「国連の要請で業務遂行にあたるもの」と定義している。そしてこう説明する。
これを我々の一般生活に当てはめれば、各個人には正当防衛(自衛)しか許さないが、その個人が警察官に指名された場合には、公務遂行のため武器を持ち、使用し、犯人と戦い、捕まえなければならない、というのと同じ。
内閣法制局の見解は違うようだが、個人的には、これで全然いいのに、と思った。
軍事の目的は国民福祉の向上
専門家にはごくごく当たり前の話だろうが、自分は下記の話も、つい、そうだよなーと改めて感じてしまった。
現代における軍事の目的は敵国に勝つことではない。
軍事力の目的は、その国の外交の背景として適切に機能し、その外交により世界の平和(秩序)・安全、ひいてはその国の平和(秩序)・独立(自由)を確保し、総合国力を進展させ、国民福祉を向上させることにこそある。
自分は、こんなことすら、あまり考えていなかった。これはよくなかった。
北朝鮮ミサイル迎撃はできない
不勉強のため、下記の点も、えっ、そうなの?と思った。
(北朝鮮の)長距離ミサイルが日本上空を通過するときは300キロか400キロの高度になっている。
航空自衛隊のPAC-3という地対空ミサイルの射程は20キロ、日本海上の海上自衛隊イージス艦搭載のSM-3ミサイルの射程は200キロだから、どちらもそのレーダーからして届かない。
ミサイル防衛に使用するPAC-3やSM-3等は元々「待ち受け兵器」であって、その射撃陣地のまわりにある重要警護対象を護るもの。
たとえばPAC-3を東京中心部の空き地等に数多く配備すれば、山手線内部の、皇居、永田町、霞が関、防衛省等を護ることはある程度期待できる。
そういうものなのかーと思った。
陸・海・空の分捕り合戦は熾烈
自衛隊内部の実状の話も自分には目新しいものだった。
陸・海・空自衛隊はそれぞれ違った性格を持つと言われている。
陸は「用意周到・頑迷固陋(がんめいころう)」、海は「伝統墨守・唯我独尊」、空は「勇猛果敢・支離滅裂」というもの。
自衛隊の予算と定員数の総枠は財務省が決めることなので、防衛省内部の陸・海・上3自衛隊による分捕り合戦は熾烈である。
陸の予算は人につき、海空の予算は装備につく。
別な表現をすれば、陸は人に装備を与え、海空は装備に人をつける。
自衛隊の年間総予算(約5兆円)のうち、人件・糧食費は約44%。しかし陸の人件・糧食費は陸自予算の約67%。
陸自の定員数も現員数も海空の3.2倍なので、陸自の予算が海空より高くなるが、装備品購入を含む一般物件費は相対的に陸自が低くなる。
そこで陸上自衛隊はいつも「いちばん貧乏だ」と僻んでいる。
何も知らなければ、「自衛隊」を一緒くたでしか見ることができないが、当然、内情は違うし、より細かく見れば、もっと違うだろうけど、これくらいは知っていたほうがいいなと感じた。
日本に国連軍「後方」司令部がある
朝鮮戦争の休戦状態を監視する国連軍司令部はソウルのヨンサン駐屯地にあるが、その「後方」司令部が横田基地にあり、豪・加・英・仏・比・NZ・タイ・トルコの駐在武官が非常勤で勤務しているとのこと。 この活動は自衛隊の人にもあまり知られていないし、根拠の「国連軍地位協定」もあまり知られていないという不思議な状態になっているのだという。
テロ・ゲリラ対策は人手がかかる
国家安全保障戦略の話で出てくる、下記の話も考えたことのない話だった。
本来、テロ・ゲリラ対策には人手を必要とする。
1996年に韓国のカンヌンに北朝鮮特殊部隊員26人が上陸した時、49日間のべ150万人を投入してようやくこれを駆逐した記録がある。
そんなゲリラが日本国内で数チームも出現したら、街のお巡りさんを含む全国29万の警察と14万の陸上自衛隊ではいかんともしがたい。
中国は220万の軍隊のほかに150万の武装警察と800万の民兵を持っている。日本のスケールが中国の10分の1だとすれば、15万の武装警察と80万の民兵が要ることになる。
こういう基本的な数自体を知らないようではいけないなーと思った。
米軍が北朝鮮に核報復を検討?
驚いたのは下記にもある。
(北朝鮮に対して)米軍が核兵器で報復するのは、米軍基地が北朝鮮によって壊滅的被害を蒙った時か、東京・大阪などの大都市で多数の民衆が殺された場合に限られる。
北朝鮮のノドン級ミサイルは車に載っており、発射直後に姿を消してしまうから、(通常兵器による報復では)効果的な報復ができない。
最近の米軍はやむを得ず、小型原爆(広島型の半分程度)を数十から数百キロ上空で爆発させ(広島・長崎では上空約600メートルで爆発)、地上の人員に被害を与えず、敵ミサイル等の電子装置や地上通信網などにのみ被害を与える、という電磁パルス(EMP)攻撃を考えているようである。
ま…もちろん、こんなこと起きないに超したことはないが、そもそも、防衛とは備えることだからなー、と感じた。
核廃絶=平和ではない
被爆国の日本で、核をめぐる議論は本当に難しいが、ここも改めて考えさせてもらった。 冨澤さんは、世界的な戦死者数でいえば、20世紀前半より後半が減り、ソ連崩壊以降はより減っていることを示して、核兵器をめぐる議論で下記のような指摘をする。
日本では特に「核廃絶」を主張する人が多いが、世界から核がなくなっても、平和は訪れない。
在来型兵器は、使用者に「相手を絶滅させても自分は生き残れる」という可能性を与えるので、核兵器に比べ「軍事的相互脆弱性」がない。
在来型兵器をなくしても、解決策にならない。
1990年から3年間戦われたルワンダ紛争では100万人以上が亡くなったと伝えられ、少なくとも10万人以上は「鉈(なた)」や「棍棒」で殺戮されたという。「放火」も殺人の手段であったという。
米国で小火器の保持規制さえできない現状からして、世界のすべての武器を廃絶することは極めて非現実的な夢想に過ぎない。
「核兵器は恐ろしい武器である」と認識することが、核兵器の「ストッパー」としての意義を高めている。
核兵器が恐ろしいと喧伝することは、世界秩序(平和)のために良いことである。
すごく逆説的なことだけど、そのとおりのような気もするから難しい。
世界の様々な徴兵制の実態
自分も含めて、「徴兵制になったら、こわーい」であまりにも思考停止しているので、各国の徴兵制議論は興味深いものだった。
G20でいま徴兵制を取っているのは、ロシア、中国、韓国、トルコ、ブラジル、メキシコの6か国だけ。 各国のやめられない実態、2011年に徴兵制を終えたドイツの例も面白かった。
徴兵制を続けるスイスは「職業軍人だけになるとNATOやEUとの関係が強くなるので中立が保てない」という理由で国民投票で支持されているとのこと。
こうした軍事問題を真正面から論じる本は、実は他にもあるのかもしれないが、この本も、冨澤さんのリードで楽しく読むことができて、とても参考になった。
この本を「面白い」というのは違うかもしれないが、防衛論議の面白さを感じる一冊だった。