「電信柱の陰」で観察しよう

明日があるさ、宇宙人ジョーンズ、トヨタReBORNなどのCMプランナー、福里真一さんの本。数年ぶりに読み返した。

電信柱の陰から見てるタイプの企画術 (宣伝会議)

電信柱の陰から見てるタイプの企画術 (宣伝会議)

以前読んだときは、面白いとは思ったけど、全体的には、ふーん、ぐらいの感想だったかなー。

改めて読んで、感じたこと。

  • 「電信柱の陰から見てるタイプの企画術」というタイトルのすばらしさが、この本の価値の半分くらいあるかも。人気者や目立つ人をうらやましがっているようで、見てること自体を楽しんでいるようで、オリジナルな感じもして、いい位置にいる感じの言葉だなーと思う。

  • なかなか本論に入らないグダグダっぽい書き方も、とてもうまいというか、「まあ、私なんて、あれですから・・」でグルグルしながら、電信柱から出てこない感じが、書き方で自然に出ていて、すばらしいと思う。

  • 「求められていることを、持っている力でやる」というシンプルな仕事観も、前ふりでいろいろ引っ張っている分、効いているなと思う。

福里さんご自身が言う通り、きっと「切れ者」という感じではないのだろうけど、着々と自分のペースに人を巻き込んでいく人なんだろうな。そういう独特のノリの人だから、なんとなく、まわりが着いて行くのかな。

読むなかで、いい話だなーと思ったのは下記の点。

「電信柱の陰」の定義のゆるさ

「電信柱の陰」は(頑張っている人たちを)からかったり批判したりする場所ではありません。

基本的には「みんなえらいなー」と感心し、時には積極的に陰から身を乗り出して自分も祭りに参加したりする。

でも、次の瞬間には、電信柱の陰にぱっと引っ込んで、様子を眺めるのに徹したりもする、そういう場所です。

そして、こう、落とす。

うーん、でも本当は別にそんな場所なくてもいいような気もしますね。

自分で言い出しておいてなんですが。

こういう感じ、すばらしい。

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「できること」しかできない

また、これはとても共感したことだけど・・。

世の中の人々は「とんち」(=誰も思いつかなかったような見事な解決法)のあるなしで、CMの好き嫌いを決めているわけではない。

福里さんは、若いときは「とんち」がないといけないと思い込んでいたけど、CM「明日があるさ」はベタで、とんちゼロなのに、評価された。

そのときに、上記のようにはじめて感じた、とのこと。

そして、与えられた場所での、自分の関わり方も、それをきっかけに見えてきた、とのこと。

私がここで何を言いたいかというと、「人は、自分にできることしか、できない」ということなんです。

こんなに大事なことをさりげなく言いすぎでしょうか。

ただ、「とんちは、必要不可欠ではない」というような話って、頭ではわかっても・・、実際は、作るときに、何か、自分(たち)にしかできない、かっこいい、気のきいたことやらないと!と「無意識に」思っちゃったりするから・・、難しい。

「ニュース番組の逆」が狙い

あの宇宙人ジョーンズのCMが、ニュース番組への違和感で始まったことも面白い。

ニュース番組って、あんなにたくさん必要なんでしょうかね。

しかもニュースになるネタというのは、大半が、人間のろくでもなさを報じるネタですよね。

殺人事件やら放火事件やらから始まって、戦争やテロ、地球環境がめちゃめちゃになっていること、政治家の汚職や問題発言、芸能人の離婚や不倫などなど。

一日中、あれだけ、人間の悪いところばっかりを集めてきて報道していたら、そりゃ多くの人が、なんか元気をなくしていきます。

一番見ちゃいけないのがニュース番組なんじゃないでしょうか。

人類無気力化装置。それが、ニュース番組なのでは?

うーん、共感しつつも・・、ちょっと、そこまでは・・、とも思ったが、そのあと・・。

サントリーさんから、「人々を元気づけるようなCMを」と言われて、ニュース番組の逆、みたいなCMにしたらどうか、と思ったんですよね。

人間の醜い部分ばかりを集めて報じるのがニュース番組だとしたら、人間のバカバカしいけど愛せる部分とか、そうは言っても捨てたもんじゃない、という部分を報じるようなCMを作ってみたらどうか、と。

そして、それがなぜ、「宇宙人」になったかというと・・。

その時に、人間について報じるのが、人間自身だと、なかなか客観的な報道もできないでしょうから、人間以外がいいな、と。

だったら、宇宙人か、と思い、「宇宙人による地球調査」という企画が生まれたわけです。

そして、ここが「電信柱の陰」につながる。

そういうわけで、地球調査にやってきた宇宙人が、地球人のことをやや皮肉っぽい目線で見ながらも、なんとなく徐々に憎からず思い始める、というようなフレームで、具体的なCMの企画を考え始めたわけですけど、これが、ものすごく考えやすいんですね。

そもそも私自身が、この宇宙人とそっくりな部分があった。

地球人の輪に入れないまま、やや離れたところから、地球人たちのことを、皮肉めいた、でも決して悪意ではない目線で見ている。考えてみると、なんだか同じだなあ、と。

まさに、「電信柱の陰から見てるタイプ」であることが、ここにきて、生きてきたわけです。

そう、つながるから、うまいなー。

「普通に考えて」がやや口ぐせ

ここも、自分もそうありたい、と思ったところ。

私、「普通に考えて」という言葉がやや口ぐせなんですけど、普通の人が、普通に考えればこう考える、とか、普通の人が普通に感じればこう感じる、とか、そういう感覚にわりと自信を持っているし、そういう感覚をすごく大事にしよう、という気持ちがあるんですよね。

「人生と、関係したい」ぐらいで

福里さんが一番好きなコピーは、アップルコンピュータが90年代前半に、それまで仕事で使われることの多かったパソコンを家庭で使ってもらおうという意味を込めた「人生と、関係したい」というコピーだったそうだ。

普通、広告って、あなたの人生をよくします、あなたの人生がこうよくなります、というところまで言おうとするんですけど、そこまで言わずに、いや、ちょっと関係したいだけです、というぐらいにとどめているところがいいんじゃないかなと。

謙虚な感じがすごくいいなと思ったんですね。

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記憶の多さを企画で生かせ

最後は、福里さんの企画術。

ゼロから企画を思いつくことはできない。

必ず、過去の何かから、何かを思いつく。

その過去の何かというのが、結局はその人のすべての記憶、ということ。

どんなに新しいといわれる発想も、必ず、過去の何かをきっかけに、あるいは、過去の何かと何かの組み合わせで、生まれてきた。

そしてまた「電信柱の陰」になる。

電信柱の陰から見てるタイプというのは、記憶を多く持っている人なのかもしれません。

電信柱の陰から見ていると、そもそも、その出来事に参加している人たちへのうらやましさもありますから、何から何までじっと観察していて、驚くほどいろいろなことを覚えている。

その記憶の多さを、せめて企画という場で活用しよう、というのが、この本の趣旨だったわけです。

電信柱の陰から見なくても、記憶の多い人はいるかもしれないけれど、でも、何かを、ちょっと離れた場所から、じーっと見る、そういう「観察力」って、大事だと改めて思う。

  • 「とんち」は必ずしも必要ない

  • 「普通の人の感覚」から離れないで

  • 「ちょっとだけ」の謙虚さも大事

・・とても共感できる話にあふれた本だった。