相撲の「見えていない」部分

相撲ほど、一見単純に見えて、奥深いものもないのではないか。

子どものころ、遊びでよく相撲を取った。

小学生のとき、砂場が土俵だった。

Iくんという相撲好きがいて、よく一緒に取った。彼と、好きなお相撲さんの話をするのが楽しかった。ただ彼は、体がやや小さかったので、相撲ではだいたい自分が勝った。

あるとき、Yくんが砂場に来た。彼は身長も高いし、運動神経もいい。しかも頭から当たってくるのでなかなか勝てない。そこで、ふと思いたって、立ち会いで「はたき込み」をやってみた。決まった。彼がそのまま前に倒れていく姿をよく覚えている。もう50年近く前のことだが、あのはたき込みのことは何度も思い出している。そのあと、彼は頭を下げずに立ち会いをするようになったので、また、簡単には勝てなくなった。

中学生になったとき、自分はわりと相撲が強いつもりだった。そんなとき「すごく相撲の強いヤツがいる」と教えてもらったのが、別のクラスのOくんだった。彼の体は普通の大きさで、むしろ細いほう。いつもニコニコしている、いいヤツだった。廊下の広いところで彼と相撲をしてみた。びっくりした。腰が強い、というのか、まったく投げることができない。逆に、すぐ投げ返された。こういう強さがあるのかと思った。彼はいま何をしているのだろう。中学卒業以来、会う機会はない。

40歳を過ぎたころ、縁あって、大相撲を国技館で観戦する機会があった。また幕下の相撲もBS放送でやっていることを知り、これも機会のあるときには見るようになった。

大人になって、改めて相撲をたくさん見ると、相撲とは、単純に「デカい人が、小さい人をすっ飛ばす」ようなシンプルなものではなく、実に多面的で、多様な要素から成り立っていることに気づいた。自分は相撲を随分誤解していたのだなと感じている。

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相撲をたくさん見て、よく感じるのは、下記の点。

  • 「逆転」がよく出る

もちろん「立ち会いから、一方的にあっさり・・」という相撲もある。しかし、「勝った!」と思った瞬間の逆転も相当多い。押す・寄る・投げ飛ばすという、基本は単純な競技なのに、まさか!という逆転が出る。

  • 「いなし」「はたき」の感覚

押し・寄りが基本でも、いなし、はたきもよく決まる。しかも、独特のタイミングというか、間の取り方があるようで、豪風とか、千代大龍とか、相手は警戒していてもバチバチ負ける。また、正当派の押し相撲などに比べ、引き技併用型の力士はどこか、邪道みたいな感じにも見える。でも豪風とか、信念を持ってやってる感じにも見える。「いなし・引きは、個人の感覚なので、教えられない」という言葉もよく聞く。この感覚を身につけようと思う人、身につけようとしてもうまくいかない人、いろいろいるのだろうか。

  • 「差し身」という技術

二子山親方が「豊ノ島は差し身がいい」と解説しているのを聞いて以来、よく考えている。差し身とは、立ち会いのあとの差し手争いでの立ちまわりを意味しているのだと思うが、両者の体格・頭の位置・当たりの速さ・ねらいなどが、相撲のたびに違うので、そうそう簡単に、技術として確立できなさそう。それとも、相撲界では「今日は差し身の稽古をしよう」とか言って練習するものなのだろうか。よく考えると相当アバウトな概念のような気もする。ただ確かに豊ノ島は、あんなに小さいのに、立ち会いすぐに、とても有利な態勢になっていることが多い。そこには何か、技術というか、何か独特のコツみたいなものはありそう。

  • 「おっつけ」が効く感じ

実況アナが「おっつけが効きましたねえ」と振り返る相撲をよく見る。確かに左右の手で相手をがっちりとらえて押していく感じは、見ていて、どこか気持ちがいいし、安定している感じがある。でも、なんというか、おっつけは狙ってやっているのではなく、流れの中で自然に出るものに見える。稀勢の里のおっつけとか、最初からおっつければ全部勝てるんじゃないかとか思うが、そういう簡単なものではないんだろう。何か、局面の中で出せる、何か、単純ではないものなのか。

  • 「はず押し」がいい、という指摘

これも押しが決まるときによく出る。でも、狙ってはず押ししているのか、流れの中で自然に出ているのか、構えとしては「いつでもはず押し、行ってやるぞ」くらいの感じで、ある程度は意識化に置いているのか、自分にはわからない。よく稽古をして、反射神経のように体に染み込ませているということなのだろうけれど、その染み込ませる過程も、染み込み方も、人によって大きな差がありそう。

  • 毎回「もろ手突き」する力士

三段目・幕下くらいの力士で、毎回もろ手突きをしている人がいた。いい形になることもあれば、すぐに押し込まれてピンチになることもある。ナックルボール専門投手がいるように、もろ手突きを極めれば、何か、新しい世界が見えるようなこともありそうだが、あの人以外、そういうことをしている人を見ない。あの力士はすでに引退している。

  • 攻め急がない力士

どんどん押して攻めようとすると、いなし、引き、はたき、投げなどをもらってしまうためか、攻めるのが遅い、攻め急がない力士がいる。しかも、ゆっくり攻めて結果的に成功したりするのもよく見る。目にも止まらぬ速攻と、なかなか攻めない「遅攻」、的なもの。両方あり、というか、答えがひとつじゃない感じがすごくする。

  • 「土俵際がいちばん面白い」

稀勢の里が先代の鳴戸親方の言葉として紹介していた。言われてみると、本当にその通りだなあと思う。勝負が決まろうとするそのとき、そのわずかな隙間こそが、まったく別の展開の引き金になる。多面的で、深くて、いかにも、相撲らしい言葉だ。

「見えない」けど、見る

親方や力士も、相撲の様々な要素を、全部言語化できているわけではもちろんないだろうと思う。

実際には、作戦などより、「反射神経・反応レベル」でどのくらい強くなっているかで、勝負は決まりそう。そして、戦う力士は、そうしたことをすべて受け止めて、わりと大らかに構えているように見える。

でも、追手風部屋の遠藤などは、突き詰めて考え抜いているようにも見える。

相撲の「見えない部分」を見ようとして、私は相撲を見続けている。