「報道の断片」だけの毎日

書店の店頭で迷う。伊坂幸太郎さんって、ずっと気になって、でも一度も読まずに来てるし、これは、読んでみるか・・。

でも、長そうだし・・。

まあ、でも、一度は読んでみよう!と購入。

ゴールデンスランバー (新潮文庫)

ゴールデンスランバー (新潮文庫)

まずは「面白かった」

簡単に言うと、仙台で、総理大臣がパレード中に爆発で暗殺されて、冤罪で犯人にされた男が、逃げまくって、最後は整形手術までして逃げ切っちゃう話。・・まあ、伊坂幸太郎さんが高く評価されるのもわかるよなーと思った。文庫本940円(税別)、本文678ページの大長編。うん、十分に、お金と時間のモト取れる。紹介文の通りの「スリル炸裂超弩級エンタテインメント巨編」だと思う。

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「気持ちのいい」作り話

エラそうに言うと、小説は、どうせ作り話なのだから、読むことで、気持ちよくなりたいんだけど、伊坂さんは、ホントに気持ちよくさせてくれる。たとえば下記。

  • 「設定はムチャクチャだけど、なぜかすごくリアリティのある、サブキャラのみなさん」がいい。三浦キルオ、岩崎ロック、追われている時なぜか「頑張れ」と協力してくれる若者、ロッキー社長、整形アイドル。こういう意外かつ魅力キャラに随所で引っ張られて、うわー、面白いなー、すごいなーと思いながら読み進むことができる。

  • 「ヒロインとの交流」。「だと思った。」のところ。最後の「たいへんよくできました」など、ここで来たかー!的な衝撃がすばらしい。

  • 「小説全体の構成」がすばらしい。99ページまでの「第一部 事件のはじまり」「第二部 事件の視聴者」「第三部 事件から20年後」があって、そこから、550ページに及ぶ「第四部 事件」、というふうになっている。第一部にアップ、第二部でロング、さらに第三部で大ロングがあることで、「広い構図」と、「立体的な世界観」を感じ取ってから、第四部の本編の世界にドドーッと入ることができる。これはとても効いていると思った。

  • 本編に入ってからの、「過去」と「現在進行形」の同時語りが、うまい。個人的には、よくある「大学時代、バカで、どうしたこうした的な話」って、好きではないが、今回はとても面白く読んだ。

「報道の断片」だけで毎日を過ごしている

楽しんで読みつつ、ひとつ感じたことがある。 それは、結局、自分たちは報道で知る「断片」だけで、毎日を済ませてしまっているなーということ。 いや、事件やニュースの当事者ではないのだから、それで当然なのだけれど。 でも、「よく考えれば、この事件、おかしくない?」とか「変なニュースだなー」みたいな感覚に、ほとんど真面目に向き合うことなく、日々が過ぎていることも確か。

登場人物の発言で、こんな言葉がある。

大した根拠もないのに、人はイメージを持つ。

イメージで世の中は動く。

味の変わらないレストランが急に繁盛するのは、イメージが良くなったからだ。

もてはやされた俳優に仕事がなくなるのは、イメージが悪くなったからだ。

首相を暗殺した男が、さほど憎まれないのは、共感できるイメージがあるからだ。

確かに、「報道の断片」だけで、なんとなくイメージを持って、深く考えず、それで終わり。

・・というか、もう、そのイメージすら、すごい勢いで忘れてしまったり。

また、こんな心象コメントも。

多数の意見や世論、視聴者の興味や好みに沿わない情報は流さない、流せないのがマスコミの性質なのだろう。

だから、マスコミはいけない、というつもりはなかった。

ただ、マスコミとは、報道とは、そういうものなのだ。

嘘はつかないが、流す情報の取捨選択はやる。

そう、人々の「興味・関心」や「好み」に合わない情報は流れない、という現実もある。

しかも、超大事件、超大ニュースでもないかぎり、賞味期限は数日間。なんというか、ほとんどの人は・・

  • フワーッと「報道の断片」だけを消費して

  • なんとなくイメージを持って

  • そこからはみ出た情報や、イメージに合わない情報を知ることもなく

  • やがてすぐ忘れて

・・それで、毎日を過ごしてしまう。

いや、別に、それで当然なのだけれど、改めて、そうであることが、よーくわかる、よく考えさせてくれる小説だった。

陰謀史観に一定の「説得力」

そうした「確かに、日々の事件やニュースを、深く、きっちりとは、考えていないよなー」という負い目がある分、 ケネディ大統領の暗殺、オズワルドさんが、なんとなく犯人、・・みたいな結論で終わりにしてない?」という、ある種の陰謀史観に、一定の説得力も感じてしまう。

ただ、話で出てくる具体的な場面では、「別人に整形手術までして、わざわざ映像を作るかな?」とか、「情報操作って、そうはうまくできないのでは?」とか、「こういうふうに人を一本釣りして工作員にはしないのでは?」とか、やや疑問を持ってしまった。

つまり物語の「全体の枠組み」には、なんとなく説得力があっても、個別の話には、ややリアリティがないように感じてしまう、というか。

いや、それで破綻するほどの違和感ではないが、「そうだよなー、政府機関や警察の陰謀で、これくらいやってるよなー」とは、あまり感じられなかった。

「いまなら違う」とも

この小説は「この作品は書き下ろしとして平成19年11月新潮社より刊行された」とある。もう10年前だ。 その分、「いまなら、ちょっと違うかも・・」と感じた点もあった。

  • いまならネットでもっと「青柳犯人説」の検証が行われ、説得力が弱いことが強調され、青柳が有利になるのではないか。10年前よりは、冷静な議論ができる場、一定レベル以上の検証、そうした検証結果が直ちに共有されるSNSなどのインフラができていると思う。「副首相が言っているから、そうなんでしょ」、とか、単純に「ふーん、そうなのか」ではないパターンになる可能性が上がっているのではないか。

  • いまなら、個人情報収集、監視社会の話は、もう少し、緊張感のない話ではないかとも、思う。自分だけかもしれないが、この小説に出てくる「セキュリティポッド」という個人情報収集マシンの話は、他の部分に比べると、あまり面白く感じなかった。「国家による監視社会」みたいな恐怖感って、10年前よりだいぶ下がっている気がする。というか、「買い物情報のデータとか、検索ワードとか、見たサイトの情報とか、そりゃ、普通、集められてるでしょ」とか「でも、個人情報を取られてることが悪いことばかりではないでしょ」という感じにちょっとなっているのではないか。

・・というように、10年前との変化も少し感じた。

面白さ・・

深さ・・

自分の日常の感覚への違和感・・

とても楽しく読める、エンタテインメントだった。