防衛論議 実は結構面白い

何かの文章で、著者の冨澤暉(とみざわ・ひかる)さんが推薦されていた。 今回、新書が出ていたので購入した。

軍事のリアル (新潮新書)

軍事のリアル (新潮新書)

自衛隊、というか、日本の防衛、軍事にについて、自分で真面目に考えてきた時間は、正直に言えば、とても少ない。 「まあ、うまく、よろしくお願いします」ぐらいの感じ。自衛隊武力衝突したとか、日本の軍事大国化とか、野党の方からいろいろ指摘されていつも大変だろうなー、ぐらいの関心で来てしまっている。 冨澤さんは、元・陸上自衛隊トップだったとのことだが、なぜかまったく専門家ぶらず、どことなく律儀で正直な書き方のように感じた。いろいろと考えさせてもらった。

国連軍は警察官業務?

冨澤さんは多国籍軍国連軍に参加しての戦闘は、「国連の要請で業務遂行にあたるもの」と定義している。そしてこう説明する。

これを我々の一般生活に当てはめれば、各個人には正当防衛(自衛)しか許さないが、その個人が警察官に指名された場合には、公務遂行のため武器を持ち、使用し、犯人と戦い、捕まえなければならない、というのと同じ。

内閣法制局の見解は違うようだが、個人的には、これで全然いいのに、と思った。

軍事の目的は国民福祉の向上

専門家にはごくごく当たり前の話だろうが、自分は下記の話も、つい、そうだよなーと改めて感じてしまった。

現代における軍事の目的は敵国に勝つことではない。

軍事力の目的は、その国の外交の背景として適切に機能し、その外交により世界の平和(秩序)・安全、ひいてはその国の平和(秩序)・独立(自由)を確保し、総合国力を進展させ、国民福祉を向上させることにこそある。

自分は、こんなことすら、あまり考えていなかった。これはよくなかった。

北朝鮮ミサイル迎撃はできない

不勉強のため、下記の点も、えっ、そうなの?と思った。

北朝鮮の)長距離ミサイルが日本上空を通過するときは300キロか400キロの高度になっている。

航空自衛隊PAC-3という地対空ミサイルの射程は20キロ、日本海上の海上自衛隊イージス艦搭載のSM-3ミサイルの射程は200キロだから、どちらもそのレーダーからして届かない。

ミサイル防衛に使用するPAC-3やSM-3等は元々「待ち受け兵器」であって、その射撃陣地のまわりにある重要警護対象を護るもの。

たとえばPAC-3を東京中心部の空き地等に数多く配備すれば、山手線内部の、皇居、永田町、霞が関防衛省等を護ることはある程度期待できる。

そういうものなのかーと思った。

陸・海・空の分捕り合戦は熾烈

自衛隊内部の実状の話も自分には目新しいものだった。

陸・海・空自衛隊はそれぞれ違った性格を持つと言われている。

陸は「用意周到・頑迷固陋(がんめいころう)」、海は「伝統墨守・唯我独尊」、空は「勇猛果敢・支離滅裂」というもの。

自衛隊の予算と定員数の総枠は財務省が決めることなので、防衛省内部の陸・海・上3自衛隊による分捕り合戦は熾烈である。

陸の予算は人につき、海空の予算は装備につく。

別な表現をすれば、陸は人に装備を与え、海空は装備に人をつける。

自衛隊の年間総予算(約5兆円)のうち、人件・糧食費は約44%。しかし陸の人件・糧食費は陸自予算の約67%。

陸自の定員数も現員数も海空の3.2倍なので、陸自の予算が海空より高くなるが、装備品購入を含む一般物件費は相対的に陸自が低くなる。

そこで陸上自衛隊はいつも「いちばん貧乏だ」と僻んでいる。

何も知らなければ、「自衛隊」を一緒くたでしか見ることができないが、当然、内情は違うし、より細かく見れば、もっと違うだろうけど、これくらいは知っていたほうがいいなと感じた。

日本に国連軍「後方」司令部がある

朝鮮戦争の休戦状態を監視する国連軍司令部はソウルのヨンサン駐屯地にあるが、その「後方」司令部が横田基地にあり、豪・加・英・仏・比・NZ・タイ・トルコの駐在武官が非常勤で勤務しているとのこと。 この活動は自衛隊の人にもあまり知られていないし、根拠の「国連地位協定」もあまり知られていないという不思議な状態になっているのだという。

テロ・ゲリラ対策は人手がかかる

国家安全保障戦略の話で出てくる、下記の話も考えたことのない話だった。

本来、テロ・ゲリラ対策には人手を必要とする。

1996年に韓国のカンヌンに北朝鮮特殊部隊員26人が上陸した時、49日間のべ150万人を投入してようやくこれを駆逐した記録がある。

そんなゲリラが日本国内で数チームも出現したら、街のお巡りさんを含む全国29万の警察と14万の陸上自衛隊ではいかんともしがたい。

中国は220万の軍隊のほかに150万の武装警察と800万の民兵を持っている。日本のスケールが中国の10分の1だとすれば、15万の武装警察と80万の民兵が要ることになる。

こういう基本的な数自体を知らないようではいけないなーと思った。

米軍が北朝鮮に核報復を検討?

驚いたのは下記にもある。

北朝鮮に対して)米軍が核兵器で報復するのは、米軍基地が北朝鮮によって壊滅的被害を蒙った時か、東京・大阪などの大都市で多数の民衆が殺された場合に限られる。

北朝鮮のノドン級ミサイルは車に載っており、発射直後に姿を消してしまうから、(通常兵器による報復では)効果的な報復ができない。

最近の米軍はやむを得ず、小型原爆(広島型の半分程度)を数十から数百キロ上空で爆発させ(広島・長崎では上空約600メートルで爆発)、地上の人員に被害を与えず、敵ミサイル等の電子装置や地上通信網などにのみ被害を与える、という電磁パルス(EMP)攻撃を考えているようである。

ま…もちろん、こんなこと起きないに超したことはないが、そもそも、防衛とは備えることだからなー、と感じた。

核廃絶=平和ではない

被爆国の日本で、核をめぐる議論は本当に難しいが、ここも改めて考えさせてもらった。 冨澤さんは、世界的な戦死者数でいえば、20世紀前半より後半が減り、ソ連崩壊以降はより減っていることを示して、核兵器をめぐる議論で下記のような指摘をする。

日本では特に「核廃絶」を主張する人が多いが、世界から核がなくなっても、平和は訪れない。

在来型兵器は、使用者に「相手を絶滅させても自分は生き残れる」という可能性を与えるので、核兵器に比べ「軍事的相互脆弱性」がない。

在来型兵器をなくしても、解決策にならない。

1990年から3年間戦われたルワンダ紛争では100万人以上が亡くなったと伝えられ、少なくとも10万人以上は「鉈(なた)」や「棍棒」で殺戮されたという。「放火」も殺人の手段であったという。

米国で小火器の保持規制さえできない現状からして、世界のすべての武器を廃絶することは極めて非現実的な夢想に過ぎない。

核兵器は恐ろしい武器である」と認識することが、核兵器の「ストッパー」としての意義を高めている。

核兵器が恐ろしいと喧伝することは、世界秩序(平和)のために良いことである。

すごく逆説的なことだけど、そのとおりのような気もするから難しい。

世界の様々な徴兵制の実態

自分も含めて、「徴兵制になったら、こわーい」であまりにも思考停止しているので、各国の徴兵制議論は興味深いものだった。

G20でいま徴兵制を取っているのは、ロシア、中国、韓国、トルコ、ブラジル、メキシコの6か国だけ。 各国のやめられない実態、2011年に徴兵制を終えたドイツの例も面白かった。

徴兵制を続けるスイスは「職業軍人だけになるとNATOやEUとの関係が強くなるので中立が保てない」という理由で国民投票で支持されているとのこと。

こうした軍事問題を真正面から論じる本は、実は他にもあるのかもしれないが、この本も、冨澤さんのリードで楽しく読むことができて、とても参考になった。

この本を「面白い」というのは違うかもしれないが、防衛論議の面白さを感じる一冊だった。

相手のメリットは何か

横田めぐみさんが、いまだに帰国できない状態が続いている。めぐみさんのご両親も80歳を超えて、体調もよくないという報道もある。

なんとかしないと、いけない。

自分は、姉がめぐみさんと同じ年生まれなので、なんとなくこの問題がいつも気になっている。もし姉が中1のときに拉致されて、53歳になる今まで戻らない、などという超理不尽な状況だったら、いったいどうなっているだろう。ありきたりな言い方だが、想像を絶するつらさだと思う。

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どうすれば取り戻せるのか。

「もう強硬姿勢で厳しく向き合うしかない」「太陽政策でやっている場合ではない」という感じに、今はなっている。

もちろん日々、なんとかできないかと、ずっと考えている外務省職員や、国会議員、専門家の方が、総意として、こうした方針を選んでいるわけだから、これが最善策なのだと思う。

ただ、その上で、もう一度、原点にもどるなら、古今東西、どんな交渉でも、相手が動く理由は、相手にとってのメリット、得する点だ。北朝鮮首脳には、そうした論理は、本当に通用しないのか。

北朝鮮の側に「めぐみさんに帰国してもらうべき」と考えるだけの何かのメリットが、もしもあるなら、なんらかの展開につながる可能性もやはりあるのではないか。

  • 「めぐみさんが帰国したら、日本人から見ると、北朝鮮のイメージはすごくよくなります」という訴えは、効力は・・、あまりないのだろうな。北朝鮮首脳にとって、日本人がどう考えているかは関心がなさそう。自国の存在感のアップ、自国の発展がいちばんの関心だろう。

  • 北朝鮮のイメージがよくなると、北朝鮮の製品を買う日本人や、北朝鮮に観光に行く日本人が増える可能性があります。経済発展に効果がありそうです」はどうだろう。効力は・・、これも、あまり大きくはないのだろうな。そんな中長期的なことや可能性レベルのことを考えて、あの大変そうな北朝鮮首脳の中で、ややこしい仕事をするなんて、普通の発想の人はなかなかやるはずないだろう。

  • 「なんらかのお金をお渡しします」は、北朝鮮になんらかのルートのある人は、もう何人も、実際にそう言っているだろう。渡せば渡すほど、相手から見れば、まだまだ出てくるというメッセージにもなってしまうから、この道は厳しい。ただ、たとえば首脳の中で相当な力のある人に対してなら、たとえば数百億円ぐらいの桁外れの額なら、この方法も可能性があるのだろうか。いや、これでうまくいくぐらいなら、今までにもう解決しているか。

  • 「(めぐみさんの話は一旦置いてでも)とにかく仲良くしよう。そのほうが、お互い楽しいから」という呼びかけは、北朝鮮のみなさんに響く可能性はあるし、もう現実にやっておられる方も何人もいると思う。ただ、これは、めぐみさん帰国に、ダイレクトにはつながらない。なので、長年かけてうまく交流が強化されても、目的が達成されるかわからない難しさは当然ある。でも、仲良くすること自体はいいし、前進という意味では、前進だと思う。

  • 「帰国が実現したら、トランプさんに北朝鮮に挨拶に行ってもらいます」と伝えることができるなら、そして本当にそんなことが可能なら、北朝鮮首脳に少しは考慮してもらえそう。トランプさんの強硬姿勢、日米関係から考えて、きっと難しいのだろうけれど。

  • ちょっと趣向を変えて、たとえばバドミントン好きの北朝鮮首脳がいれば、「日本と北朝鮮のバドミントン定期戦を始めよう。バドミントン部だっためぐみさんに、サプライズで来ていただきたい。大会を一気にメジャーにできます。あなたの大会プロデューサーとしての評価が上がります」と伝えるのはどうか。・・いや、これも同じことか。バドミントン大会はできても、めぐみさんの問題は全然、次元の違う話だから、可能性は低いか。そういう、ちょっと別のサイドから、側面から交渉して、先方のメリットを探す道ってないのだろうか。

  • 「めぐみさん探しは大変な事業でしょう。その大事業の苦労物語を日朝合作のアニメにしよう」的な呼びかけに、メリットを感じてもらう可能性はないか。元NBA選手のロッドマンさんとのつきあいの感じを見るかぎり、北朝鮮首脳も、面白いもの、興味を持つものに対しては、それなりに許容の幅はありそう。ただ、こちらの希望が明確すぎて、足もとを見られることになるから、簡単には実現できないだろうけれど。

横田さん御家族の状況を、北朝鮮のごく普通の家庭で暮らしている方がもし聞けば、日本人の多くと同じように「なんとかできないか」と感じると思う。つまり、北朝鮮と日本のほとんどすべての人は、この理不尽過ぎる状況を(知りさえすれば)ストップすべきだと考えている。

なんとか、できないだろうか。

「無駄な仕事」廃止を阻む論理

「働き方改革」の道なかば。「壁」は険しい。

その「壁」の高さに毎日驚き、「壁」の複雑さ・多様さに驚き、日々学んでいる。

そんななか、この本を書店で見つけ、改革を阻む根本原因にたどり着くヒントになるかもしれないという思いで購入した。

ムダな仕事が多い職場 (ちくま新書)

ムダな仕事が多い職場 (ちくま新書)

この本の中ほどに著者・太田肇さんが書かれていることがいちばん重い現実だ。

要するに日本企業では組織のトップから末端にいたるまで、組織を効率化するより会社共同体を維持することで利害が一致する。

少なくとも内部から強力に効率化が進められる構造にはなっていない。

ホントに、しみじみ、そうだよな・・。読みながら、働き方改革=効率化なんて、生半可な覚悟では進むわけないことが、改めてわかる。

太田さんは、この本の前半で、現状のムダを簡単に排除できない要因を提示する。そして後半に、対策のヒントとして、「効率化先進国・ドイツ」の事例や、「人材難という外圧で大企業より効率化が進む中小企業」の取り組み例を紹介している。

自分としては、後半の対策編よりも、前半の分析編の中のほうが「改革へ向かうための広い意味でのヒントになる言葉」がいくつもある気がした。

客の「神様」扱い

「顧客重視」という言葉はあまりにも強いので、「それは客の神様扱いではないか」という対抗軸をはっきり提示しないと、意外と押し切られてしまう。「顧客」窓口業務に使命感を持っている方は、「顧客の意見は宝の山」「この業務の縮小、効率化なんて、とんでもない」という意識になりやすい。

太田さんはこう書く。

客を「神様」と持ち上げ、その要求を無批判に受け入れていると、客の要求はとこまでもエスカレートする。

過剰なサービス、明らかなムダであっても、いったん客の要求を受け入れると、それが新たな基準となる。

(市役所などで)住民の理不尽な要求や長時間に渡るクレームに毅然とした態度を取らず、業務に支障を来しているケースは少なくない。

一部の人のために全体への奉仕が犠牲になっているケースが少なくない。

教育や保育の現場、病院などでも同様だ。

一部の顧客の過剰重視が、効率化を妨げ、引いては顧客全体の利益を奪っている。そうした構造を改めて考えさせてくれた。

背後に「処遇」の論理

深く考えればもちろん自明のことだが、「処遇の論理」が大きなムダの温床になっているという指摘も改めて大切だと感じた。

年功序列のもとで、年齢に見合った地位と給与を保障し、社員のモラルを維持しようとすれば、組織にとって必要かどうかとは関係なく、処遇のために役職を置かなければならない。

部長や課長以外に、副部長、部次長、担当課長、参与、参事、課長補佐、課長待遇といった役職がたくさん設けられた。

膨れあがった役職層は、組織の意思決定にも非公式な形で関わる。そのため意思決定が必要以上に遅くなる。

しかし役職・ポストが社員のプライドやモチベーションと関わっている以上、簡単に整理できない。

そう、自分もまさにこういう事態に日々直面している。ただ話がさらに難しいのは、「膨れあがった役職層」の皆さんの多くは、本心から、組織のためを思って言ってくれていること。「自分の存在をスルーしないで」「自分の存在感をもっと示したい」というだけの人って、そうはいないから、なおさら始末が悪い。

しかも、最終決定権者も『できるだけ「膨れあがった役職層」の意向も取り入れるべき』と考える心優しい人ばかりだったりする。これではもう・・。

ただ、問題の構造はいつも認識していないと、改革前進の機会をいつまでもつかめない。問題の根深さを十分考えながら、何か解決の糸口を探し続けることの大切さを改めて感じた。

「完璧」による思考停止

「完璧」「きちんと」「ちゃんと」のような言葉のポジティブ度の強さも、改めて意識した。

太田さんは言う。

「限定された範囲で完璧を目指すこと」は、無限の広がりを持つ外部の要因、不確実な将来を考慮しないことを意味する。

「完璧」を求めることで人間はしばしば思考停止に陥り、また真剣な努力を放棄してしまう。

確かに、こういう面はあると思う。

常に進化するいまの時代には、完璧に準備したつもりでも状況が変わると完璧ではなくなる。

前に進んではじめて、欠陥や不十分な点が見つかることもある。

あえて完璧を求めず、リスクを冒してこそ進歩する。

それを放棄して「完璧」に安住することは、ある意味で怠惰な姿勢。

本来なら、非現実的な基準は現実に合うように見直されるべき。

だが、完璧主義のイデオロギーが組織内に、社会的に浸透していると、見直しはなかなか許されない。

またこだわりの理由として。

日本企業ではトップから末端までが「攻め」より「守り」重視、すなわち自らの保身のためにリスクを最小化するよう動機づけられている。

それが、たとえ組織にとって不合理だと思っても、完璧主義にこだわる大きな理由。

そうなんだよなー。「守りが堅い」は、いまだに誉め言葉だもんなー。

ただ、結論は太田さんの指摘通りだと思う。

環境の変化が激しいこれからの時代には、感覚的にいえば「80点」くらいの大枠をつくり、細部は走り出してから徐々に詰めていく、あるいは修正していくほうが効果的。

そもそもリスクや可能性は走り出さないと見えてこない場合が多いから。

「脱完璧主義」は創造や革新に必要なだけでなく、状況変化への適応という面でも不可欠。

そう、「80点スタート」を当たり前にしていかないといけない。改めて、そう考えさせられた。

「改善型」の呪縛

太田さんの分析を読みながら、改めて、小さなムダの排除が評価されやすい現実、「革新」より「改善」が評価される現実を思った。

IT化やソフト化、グローバル化が急速に進んだとき、「改善型」のパラダイム(思考の枠組み)から「革新型」のパラダイムに転換すべきだった。

「適応が適応を妨げる」という言葉どおり、わが国は工業社会にあまりに適応しすぎたため、ポスト工業社会への適応が困難だった。

また下記の指摘もとても参考になった。

さらに問題を見えにくくしているのは、短期と長期のギャップ。

「工業社会型=改善型」のマネジメントは多くの場合、短期的には効果があがる。

たとえば作業ロスを減らせば1日の生産高は確実に増え、価格を引き下げれば当面の来客は増える。

それに対して、「ポスト工業社会型=革新型」のマネジメントは、効果があらわれるのに時間がかかる場合が多い。

技術革新が利益に反映されるのは少なくとも数カ月、数年先だろうし、しかも不確実である。

そのため工業社会型マネジメントの効果を過大評価してしまう。

このようなバイアスがかかっていることを認識するところから改革を始めるべき。

そう、「コツコツできる、日々の改善を、まずは、ちゃんとやろう」「一気に変えるよりも、まずは少しずつ」みたいな改善型の意見は、断然、合意を得やすい。

一方、「これは一気にやめて、こうつなげば、効率化が進む」「ここに対する考え方を基本的に変えて、これでいい、と割り切ってしまおう」みたいな革新型の意見は、確かに、なんだかフワフワしたものみたいにとらえられやすい。

太田さんの分析の通りだと感じた。

「ムダな仕事をやめる意思決定って、本当に難しいなー」と日々モヤーッと実感していることが、「それは、こういうふうに整理できる」と改めて整理してもらう感じ。

  • 客の『神様』扱い

  • 『処遇』の論理

  • 『完璧』による思考停止

  • 『改善型』の呪縛

こうした現状をはっきり意識して、何ができるのか、考えていこう。

そんな気持ちにさせてくれる本。

競馬界はなぜ「改革」できたのか

競馬の世界の話。

JRAのこの秋の重賞戦線でミルコ・デムーロ騎手が勝ちまくった。他にも、クリストフ・ルメール騎手、ライアン・ムーア騎手などが、有力馬に騎乗して、よく勝っている。ファンからは「外人の馬券、買っときゃ当たる」という声が普通に聞かれるようになった。

地方競馬の出身騎手もとても増えた。安藤勝騎手が引退したあとも、戸崎騎手、内田博騎手、岩田騎手、柴原騎手などが活躍を続けている。

大きなレースでは、いまや「外人」「地方」「JRA専属」の比率が3分の1ずつになっているといっても過言ではないくらい。

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自分が競馬を始めた30年ほど前は、JRA専属騎手が100%だった。20年前もほぼ同じ。10年前くらいから、安藤勝騎手やオリビエ・ペリエ騎手の存在感が増してきて、この数年間でドーッと一気に変わった感じ。

まあ他人事としては、「騎手の世界も変わったよねー」くらいの話だ。もともと実力の世界だし、ハイレベルの争いのほうが面白い。

第3者的には、というか、外部から見れば、このほうが公明正大で、新規参入にちゃんと道を開いていて正しいし、馬の力を限界まで引き出すという意味で効率化されているし、こうなることにあまり異存はない。

・・ただ、先日ふと、競馬界はなぜ、こうした、ある意味での大きな「改革」を実現できたのかなーと思った。

というのも、自分がいま職場で進めている「公明正大で、本来なら当然やるべき、効率化策」が、毎回のように抵抗を受けて、ほとんど実現されないからだ。こんなに小さい改革なのに、これすらダメなの?みたいな驚きが無数にある。「既得権を守らないと」やら、「慣例で決まっているから難しい」やら、「万一のために必要だ」やら、いまの仕組みを残すための、もっともらしい論理は無数にある。

考えてみれば、競馬界の「改革」だって、JRA専属騎手たちにとっては、自分たちの既得権が一気に半分程度奪われる、とんでもない蛮行が、ここ数年で行われたことになる。反対の論理はいくつもある。

  • 自分たちはJRAのレースに一定程度出走できる前提でこの世界に入ってきた。外人と地方騎手に大規模参入を許せば自分たちの生活がおびやかされる。(既得権の維持が必要論)

  • そもそもなぜ、わざわざ別から騎手を呼んで来なきゃいけないのか。外国は外国。地方は地方。JRAJRA。昔からずっと分かれてやって来たし、それで別に問題なかった。外国は外国で盛り上がればいいし、地方さんは地方で地方振興という大事なミッションがある。いまの分かれてやっている仕組みは、それなりにうまくいっていて、よくできているのに、変える意味がわからない。(慣例を守ろう論)

  • 外人や地方騎手参入を許して本当にいいのか。彼らは一時的にカネを得て、時が来ればJRAを去っていくかもしれない。JRAの売り上げが落ちれば逃げ出すかもしれない。そんなときJRAの専属騎手に頼ろうとしても、もうとっくに弱体化してダメになっている。(万一のとき、どうする論)

いや、実際のJRAの騎手会がどんな主張をしたのかはわからない。こんな主張は一切せず、スポーツマンらしく、潔く、大規模参入を認めたのかもしれない。ただ、外から見れば、こうした主張が出てもおかしくないと思える。というか、こういう抵抗が出て、「改革」が阻まれたり、中途半端になるほうが、世の中的には普通だと思う。

なので、なぜ「改革」が実現できたか、というのも、全部想像にすぎないのだが、きっと、こういうことではないか。

「馬主会の意向」は断然強い

JRAの中は、競馬ファンとしてボケッと見ている側からは想像がつかないくらい、馬主会が力を持っているのだと思う。ごくごくたまに知り合う競馬関係者の話を漏れ聞くかぎり、競馬界における社台関係者の地位の高さ、あるいはディープインパクト馬主の金子真人さんへの超厚遇などは、とてもよく知られている。確かに主催者JRAは、あくまで出走していただく側。いちばんエラいのは、大金を投じて競走馬を出走させてくれる馬主に決まっている。その馬主の中の有力者たちが「ウチの馬を勝たせるためには、外国でも、地方でも、とにかく腕達者を集めたい」と言えば、これはもう、会社の改革プロジェクト担当者が言うのとは、比べものにならないくらいのインパクトがあるのだろう。先日のG1レース、チャンピオンズカップでは、競馬界の帝王ノーザンファームの吉田勝巳馬主の馬が、ムーア騎手を背に、ここ数戦の不調がウソのような大激走を見せた。あれだけ馬の力をしぼり出せるなら、吉田勝巳さんが惚れ込むのも無理がない。そしていちばんエラい人がそうしたいなら、すべては追認の方向で調整することになる。自然なことだ。

「売り上げ減」という緊張感

忘れてはいけないのは、JRAの長期的な売り上げ減少が、経営に一定の緊張感をもたらしていること。特殊法人であっても、この背景があるとなしとでは大違い。緊張感が強ければ強いほど「このままでいい」みたいな話は言いづらくなる。経営の緊張感が低いところでは現状追認圧力が働きやすくなる。

「世界標準」という外圧

外国騎手に限って言えば、JRA「競馬界の国際A標準国として世界的な力を持つためにも、香港との対抗上も、外国騎手参入の壁は下げざるを得ない」という外圧を、騎手会説得に利用したのかもしれない。この外圧には、いまの時代、なかなか反論できない。

「地方との部分共生」という空気

地方騎手に限って言えば、JRA農水省とともに、地方競馬と一体化はしないが、かといってハードランディングもさせず、是々非々で部分的に共生する」方向を歩んでいるように見える。このやり方がいちばん多くの関係者を守ることができるし、やがては次の段階にいくときの準備もしやすいし、大きな抵抗も起きにくいから、まあ、こうなるのも当然だろう。本当はいま、「JRA・地方一体化」とか、「地方競馬の大整理」とか、抜本的な方針転換が必要かもしれない。しかし、そんな膨大な手間と、時間と、エネルギーが必要な仕事を、農水省の職員や、半官半民のJRA職員が現実的にできるわけがない。となると、地方騎手参入やダート重賞交流戦の一定の拡大、という今のやり方が力を持ちやすくなる。

「改革」で未来はどうなる?

では今後、JRAはどうなっていくのか。まあ、すぐに傾きまくることはないだろうが、中長期的に安泰かと言えば、それも、どうだろうか。

ただ、これは私の好き嫌いの話だが、私は「変わり続けることで、変わらずに高い位置を守り続ける」みたいな話が好きだ。どんどん変えていくべきだと思う。

JRAの騎手だけで、虎の子の既得権を守りあう競馬より、世界にも、地方にも、ちゃんと門戸を開いているほうが、健全だし、未来を向いている気がする。そのほうが、競馬ファンも含めた競馬関係者全体の利益にかなう気もする。JRA専属騎手という一部の方に配慮し過ぎることが、全体の利益増進を阻害することにつながりかねない。

ということで、やがては、うまくいくかわからない部分もあるけど、当面は今のままで全然いいんじゃないの。

毎日「諸行無常」を思い起こせ

平家物語

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

方丈記

行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

淀みにうかぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。

世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

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無常。

諸行無常

もとの水にあらず。

毎日、変わる。変わっている。

毎日、思い返せ。

毎日、思い起こせ。

諸行無常であることを。

父親は老化しているだけか

80歳を超えた父親が何を考えているのか、家族で心配している。この本が気になって購入した。

老人の取扱説明書 (SB新書)

老人の取扱説明書 (SB新書)

本の内容は、まとめかた次第では「老化の正体・人はこのように老いる」というような感じにもできる内容だ。

ただ構成は「老人のこういう行為が気になるでしょう?」➡「その原因は老化によるこれです」➡「老人はこの行為をするとき、本当はこう望んでいます」➡「予防でこうやってあげて」まで書かれている。とても実践的で、わかりやすい。

自分は、今年の春、父親と焼き鳥屋さんに行ったとき、最初に出てきた大根おろしに、醤油をビッショビショにかける姿に衝撃を受けた。こんなこと、今までしてたっけ?と感じた。

本書によると、高齢者は塩味が11倍、苦味は7倍、うまみも5倍ないと、若い頃と同じには感じられないという。

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うーん、それなら、あんなにたくさん醤油をかけるのも、まあ・・仕方ないのかもなーと思った。

父親は、体はわりと元気なのに、外出をとても億劫がる。家族としては「せっかく元気なのにもったいない。歩かないから、ますます衰えるのではないか?」と気になってしまう。

これも「腰や膝の痛み・関節の変形は40歳台から始まり、80歳を超えると、膝は半数以上、腰は70%以上が関節の変形を認める」「筋力低下で歩くのが億劫になり、歩く速度も遅くなる。つまずきやすくなる」ときっちり説明されると・・まあ・・、そうだよなー、ある程度は億劫がるのも当然かー、という気持ちになる。

いや、よく考えれば、この本を読まなくても、うすうす、父親の変化は、老化による衰えだと思わなくもなかった。ただ、はっきりわからないと、なんとなく「いや、本人の性格の問題ではないか」「ちょっと怠慢なのではないか」みたいにも考えてしまいがちだ。

自分の家の場合は特に、80台後半や、90歳を過ぎても、若い頃と変わらずムチャクチャ元気で、明るくて、積極的で、いきいきしている人が、親戚や身近に何人もいたりする。そういう、超元気じいちゃん、超元気ばあちゃんは、話していて気持ちがいいし、自分もぜひああなりたいと思う対象だ。

すると、なおさら、積極性のない父親が気になってしまいがち。「老化は本人の心がけ次第なのでは?」みたいな独断、偏見にも陥りやすい。

父親は、人と話すときも積極的に話そうとしなくなっているから、それもあって最近、急に耳が遠くなってきたと思っていたが・・。

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そもそも60歳以上の段階で、若い女性のような高い声は男性の1.5倍大きくないと聞こえず、80歳を超えると難聴が7割8割を占めるという。

・・なんだ、これもやっぱり、老化しているだけか!

  • 80歳を超えると99%が白内障

  • 嗅覚も70歳台からの機能低下が大きい

  • 内臓機能も60歳以降どんどん衰える

まあ、老化ということで、父親の変化は、かなりの部分まで説明できてしまうと、改めて感じた。父親のほうが普通で、超元気老人のほうが例外という気にもなってくる。

日本は外国にくらべ補聴器が普及していないそうだ。日本は難聴者の13.5%しか使用していないが、イギリスは42.4%、アメリカは30.2%だという。補聴器はメガネと違って、慣れるのに時間がかかることが原因だという。

  • 補聴器は平均して5回6回は補正が必要。静かな部屋から慣らして、外で使うようにする。面倒でもこまめにメンテナンスをすべき。

・・とのことだ。まったく知らなかった。

父親は、意地悪してやろうとして頑固になっているわけでもなく、楽しようとしてサボッているわけでもない。

老化しているだけ。

そして自分も、日々、老化している。

当たり前と言えば当たり前だけど、とても大事なことを改めて教えてくれる、親切な一冊だった。

50歳より前に去った人を思う

夏目漱石は1867年2月9日生まれで、1916年12月9日に49歳で亡くなった。いまからちょうど100年くらい前のことになる。

夏目漱石って、あの人、49歳で亡くなったのか。何年か前に、このことを知ったときに、とても気になって、思わずメモをした。

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脳学者・池谷裕二さんの本によると、脳は「自分の将来に起こりうる変化を少なめに見積もる」クセを持っているという。脳は、安定したもの、秩序あるものが好きで、まわりを、そういうものだと考えたがる。

でも、世の中は自分が考える以上に、偶然だらけで、無秩序で、不安定で、将来も変化だらけ。池谷さんの本では、例として、「60歳までに10%ほどの確率で癌にかかるが、多くの人はそう考えていない」と書かれていた。

確かに自分もそうだ。なぜか、70歳から80歳くらいまで生きるのかなー、くらいに勝手に考えている。

でも、考えてみれば、自分のいまの歳(50歳)になる前に、30歳台、40歳台で亡くなっている人もいる。いや、それはもちろん、一歩引いて考えれば、「人間なんだから、そういうものだ」ということ。別にビックリするようなことではない。

ただ、もちろん本人にとっては、なぜ自分が・・、という、理不尽で、無秩序なものだったと思う。

最近では・・

  • 今年6月に乳癌で34歳で亡くなった小林麻央さん。きれいで、賢くて、性格もよさそうで、誰もがうらやむ方に見えたが、まさか、こんなことになるとは。

  • 去年9月にはNHKでキャスターをしていた黒木奈々さんが胃癌で32歳で亡くなった。闘病を綴った著作が大きな話題になった。

  • アナウンサーの方で個人的に記憶に残っているのは、日本テレビの鈴木(大杉)君枝さん。2007年に43歳で亡くなった。繊維筋痛症という難病だったと報じられた。あの明るく、仕事をテキパキする感じの方が、突然そうした病気になったら、どんなにショックだっただろうと考えてしまった。

思えば、若くして亡くなった方の中には、会ったこともないのに、とても気になってしまう方が何人もいる。

  • 歌手の松原みきさんは2004年に子宮頸癌で44歳で亡くなった。「真夜中のドア」をユーチューブで見ているときに知った。あの素敵な方が、若くして他界していたことがとてもショックだった。いまもなぜか、松原さんのことを考えたりする。

  • 漫画「玄人のひとりごと」を書いていた中島徹さんは2011年に大腸癌のため47歳で亡くなっている。あんなに面白い漫画をずーっと連載して、サッといなくなってしまった。どんなに無念な思いだったのか。それとも、あの最高のキャラクター南倍南のように「ふっ・・」と達観して、去ったのだろうか。いまも、玄人の漫画が全巻ならぶ本棚を見ながら、中島徹さんのことをよく考える。

  • コラムニストのナンシー関さんは2002年に虚血性心不全で39歳で亡くなった。著作はほぼすべて持っていて、いま読んでもまだまだ面白い。突然死のような亡くなり方で、ご本人は何か考える時間はなかったかもしれない。追悼の本でご両親が、「手がかからない、とてもいい子だったけど、最後にいちばん親を悲しませている」というようなことを話しておられて、それも悲しかった。

  • サッカーの松田直樹選手が2011年8月に急性心筋梗塞で34歳で亡くなったこともショックだった。見るからに気持ちのいい、サッカー少年がそのまま大きくなったような松田さんが、あの日、どんな思いで突然の旅立ちをしてしまったのだろうか。

  • 相撲界も数多い。元・北天佑関は2006年に腎臓癌と脳腫瘍で45歳で。元・久島海関は2012年に虚血性心不全で46歳で。元・貴ノ浪関は2015年に胃癌と急性心不全で43歳で。そして元・時天空関は今年1月、悪性リンパ腫で37歳で亡くなった。あんなに強かった力士の皆さんが、信じられないほどあっさり、いなくなってしまっている。

いや、誰にも、死はやがてやってくるのだから、それが若くても、100歳を超えていても、ある意味では、同じことなのかもしれない。

でも、いまの自分より若く亡くなった人を思うと、そのときの本人の思いを想像すると、とてもつらい気持ちになる。

世の中の実態。

「偶然だらけで、無秩序で、不安定で、将来も変化だらけ」というサイコロみたいな現実であることを改めて意識するのは、とてもつらい。

でも、たとえ、どんなことがあっても、柔軟に、状況にあわせて、自分のできることを淡々とやっていこう。

改めて、そう考える。